発正念時の姿勢に関する問題
(明慧日本)私は現在18歳で、最近になって集団学法に参加し始めました。何度かの集団学法を通じて、私は多くのことを習得することができました。中でも、同修自らの修煉体験を幾つか聞いて、とても感動しました。
しかし、私はこの集団学法の中で一つの問題を発見しました。それは、発正念をする際に、多くの同修の手が傾いていたり、蓮花手印の手が閉じていたりしています。私の隣に座っていたある年配の同修は、頭が前後にゆらゆら揺れ動いていました。私がその同修に対し姿勢を正すように指摘したところ、同修は「眠いのです」と言い、その後注意して行っていたかどうかは分かりません。私がこのことについて書こうとしたのには大きな理由があります。それは、この現象は1人、2人の問題ではなく、多くの同修が発正念の際に同じような問題に直面しているからです。
発正念は三つのことのうちの一つであり、大法弟子なら誰もがとても重要だと分かっていることです。多くの同修が絶えず正念をもって行わなければならないと文章に書いていますが、発正念の基本的な姿勢はもっと重視しなければなりません。発正念時の姿勢が要求を満たしていなければ、真剣に行っているとは言えず、とても邪悪を解体する作用は働きません。
私は初めて投稿しましたが、これは自分の些細な意見です。不十分なところがあれば、どうぞご指摘ください。
2009年10月14日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/10/8/209906.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
|
|