■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/10/16/mh171931.html 



法を実証する中で執着心を無くす(二)

文/米国の大法弟子

(明慧日本)

 神韻の宣伝活動に参加して体得したこと

 2009年にインディアナ州でも神韻公演を行なうことになりました。以前、シカゴの神韻宣伝活動に参加したことがあるので、少し経験がありました。シカゴの同修にいろいろと教わったことをとても感謝しています。しかし、自分の地域で公演を運営する事は全然違うと感じました。そのプレッシャーは言葉では表現できません。私達は一緒に交流して、「これは師に遵って法を正し、衆生を済度する最高のチャンスであり、ベストを尽くさなければならない」と心が一致しました。皆は自分の能力の範囲で活動を始め、周りの地域の同修の助けも得て、一応の結果を出しました。もちろん中にたくさんの不足もありました。

  私個人として、いくつかの問題点を書き出し、皆さんと交流し、共に向上したいと思います。

  活動には現地の弟子はすべて参加しなければなりません。たとえある人は時間がなくて活動に参加できなくても、その正念に作用があります。私の地区に老年夫婦の同修がいます。家族が反対するため、2人は渡米してから3年も経ったのですが、ずっと外に出て法を実証していません。2人は『転法輪』さえ持っていませんし、明慧ネットも見ていません。この2人に正法の進展を知らせるため、私はよく訪問して『転法輪』と新経文を渡しました。神韻のことに私は何回も言及したので、2人も何かをやりたいと表明しました。しかし、2人は根本的に家を出られないので、私は2人と相談して、本当に出来るのは発正念、学法と、家族のために神韻を紹介し、接触することができる中国人に、神韻を教えることだと決めました。最後に、この2人は家族を連れて神韻の公演にやって来たのを私は見かけました。

 神韻を宣伝するためには社会のいろいろな人物と接触し、同時に米国の主流社会を理解しなければならず、とても煩雑な仕事です。現地の修煉者はもともと少ないのに、独立して仕事を担う人はもっと少なく、しかも皆自分の常人の仕事を持っています。私の個人的な能力はとても小さく、雑用しかできません。他の同修がばたばたしているのを見て、私は自分が普段英語をもっと勉強して、学法を一段としっかり行って、独立して役割を担うことさえできれば、人に依頼しなくてもよく、他の人の負担も軽くなると悔やみました。しかし、決心はしても、常人の能力が足りないため、願望は実際には絵に描いた餅でしかありません。

 皆はスポンサーを探すのに人手不足で、時間も足りず、私は時間があっても能力がありません。私は商店街でポスターを貼り、チラシを配った時に神韻の素晴らしさを紹介し、時には大法の事も紹介し、商店に広告を貼ることを打診しました。ほとんどの人は拒否することなく、ポスターを貼らせてくれ、とても勇気づけられました。最後の段階で、私はこのことに集中しました。広告のことにはほとんど応じてくれませんでしたが、皆はやはり神韻のことをよく理解しました。

 ある日、私はあるチェーンストアの本部を訪問した時、誤って会計の部屋に入りました。話し終わってからやっとその課長が部屋を間違えていると教えてくれました。私は、「すみませんでした。私はこのよいメッセージを伝えたくて、もちろん課長および貴社の職員が一緒にこの公演を鑑賞してくださることを期待しています」と話しました。課長は喜んでチラシを受け取り、ありがとうと言ってくれました。

 実は、神韻を宣伝することは縁のある人を探す過程でもあります。ある日、私は小さい店に入ってポスターのことを話しました。店長はとても親切に受け入れ、かえって私に頼みたいことがあると言いました。引き出しの中から一つの付箋を取り出して、質問しました。これはある中国のレストランでくじ入りの餅からこの付箋を得たのだが、意味が分からないため誰かに教えてもらいたいとずっと期待していたというのです。私はなるべく分かるように教えてあげました。

  ついでに、中国の真の伝統文化は現代の中国文化と本質的に違うことや、法輪大法の素晴らしさおよび迫害の真実を話して、このような迫害の中で大法弟子は伝統文化を復興するために力を尽くしていること、神韻は正にこの背景の下で誕生した文化団体であると教えました。彼は真剣に聞き、たくさんのチラシを受け取ってくれました。再度訪問した時、その店主は「チラシはすべて配った、もう少しください。私は家族全員で観に行くことに決めましたよ」と嬉しそうに話してくれました。額縁を販売する業者は、「大きいポスターをください。私は、一番目立つところに綺麗に飾ります」言いました。このようなストーリーはまだまだあります。

 意外に説得しにくいのはやはり中国人です。私たちはすべての中国人に手紙を送り、挨拶文とチラシを一緒に入れました。私は中国物産店の中にテーブルを置いて、週末になると私はその店の入り口で往来する中国人に挨拶し、我々のチラシを見たかどうか、これは珍しい真の中国伝統文化を鑑賞する機会であり、是非来て下さいと話しました。大多数は分かった、もらいましたと答えていました。一部の人はもうチケットを買ったよと教えてくれました。もちろん、私を無視する人もいます。私の心は動じず、自分は大法弟子であり、ただ自分のやるべきことをやるだけだと思いました。

 公演の当日、来場者の大多数はやはり西洋人でした。中国人こそ見に来るべきだと私は中国人のために悔みました。中国人はまだまだ真相が分かっていないと新たに感じ、次の段階には突破しなければならないと思いました。

 以上は、私の体得したことです。不足のところは慈悲に指摘してください。

 (完)

 (2009年米国中部法会での体験発表)

  2009年10月16日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/9/30/209279p.html

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