■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/10/16/mh174074.html 



修煉の道で絶えず向上する(二)

文/オハイオ州の大法弟子

 (明慧日本)
 二、法輪功の真相を伝えるプロジェクトにおける修煉

 私は2008年の4.25期間中、明慧ネットに4.25九周年を記念する文章を書きました。けれども、名前は書きませんでした。編集部から、すでに海外に来ているのだから、実名を書いて文章の信頼度を高めるようにとのメールが来ました。私はいろいろな心配を捨て、実名で迫害文章を発表することに決めました。

 ある時、自分の文章が多くのウェブサイトで掲載され、絶えず私の文章は素晴らしいという声を聞くと、心では嬉しくて浮き浮きし、ある時期には、文学的なテクニックを追求するときもありました。

 ある日初めて、偶然常人の女性作家の文章を見かけました。その作家は数百字で自分がどうやって涙を流したかを描き、文章は文学的才能であふれていました。私は突然悟りました。

 いわゆる常人がいう文学的才能はしばしば内容が乏しいのに言葉ばかりを飾りたてることですが、大法弟子の書いた文章は絶対に表面的ないわゆるテクニックにとらわれてはならず、しかも文章は道理をはっきりと説明することに使うべきで、内容は具体的で充実させるべきです。最も重要なことは人を救えることです。尊敬なる師父の教えである「素朴で正確かつ清らかであり、人間の情のない文章」(『成熟』)に従って書く必要があります。

 ある出来事がきっかけで、私はとても感動しました。私が書いたある迫害を暴露する文章がウェブサイトに掲載され、中国本土から5通の返事のメールが来ました。

 その中のある人は当時、広東四会刑務所で一緒に迫害を受けた同修でした。その同修は留置場で書いた詩を送ってくれました。もう一つの返事は名前の知らない高校の同級生で、同級生は私にたくさんの文章を書くよう励ましてくれました。

 私は、大法の中で行った小さなことには大きな意味があると感じました。正法時期の修煉者が運営するウェブサイトは、人を救うことに確かに巨大な作用をもたらしたと感じました。

 今年5月、アメリカ中部の脱党集会に参加しました。英文で自分が国内で受けた迫害の経歴を述べることになりました。協調人が「発言するとき、原稿通りに言わないでスピーチを行うことで人の心に訴えることができ、より人を救うことができます」と強調されました。自分の英語の会話に自信がなく、原稿に従って読むことは問題ないが、原稿通りに言わないでスピーチを行うことができるかと迷いました。私はためらっていましたが、協調人の言うことは確かだと感じ、原稿通りに言わないで練習し始めました。その結果、大体言えるようになり、だんだん良くなりました。大法弟子は自信を持つべきで、法輪功の真相を伝えるプロジェクトでは必ずしっかりやり遂げることができると感じました。

 またある出来事が起こりました。神韻の公演後に観客の取材を行う予定で、事前にある程度の準備をしました。しかし、始まる少し前、協調人から、取材の記者は足りているので舞台裏の仕事を頼まれました。少し不機嫌になったのですが、すぐに応じました。舞台裏で数人の同修とピアノを運びました。簡単に見えますが、実際は難しく、ピアノは重くて、道はとても狭く、演目の間で幕が下ろされるとき、ピアノを決められた位置に置き、ふたを開け、イスとマイクを置く必要があるので私たちは間違いがないよう何回も置く練習をしました。このような小さなことでも、修煉者の間の協力の重要さが現れます。

 舞台裏で感動する場面を見ました。神韻の第一回公演の開始前、すべての出演者が舞台裏で「論語」(『転法輪』にある「論語」)を暗唱し、手を合わせて「師に遵って法を正し、衆生を救い済度する」と誓いました。この場面は大勢の大法弟子が天の上で誓約を誓った場面と同じではないでしょうか。

 舞台裏で手伝いながら多くのことを悟りました。表面的には協調人が私に配分した仕事ですが、実際は師父が按配してくださっていました。当時、この仕事は自分の望み通りのものではないと思いましたが、後になってこれが最もすばらしい按配であることを知りました。

 以上は修煉上の少しの体験談です。間違っているところは慈悲なるご指摘をお願いします。

 (完)

 (2009年アメリカ中部法会での発表)

 2009年10月16日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/10/3/209412.html

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