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病業の魔難の中、深く執着を探した経歴(一)


文/米国の大法弟子

(明慧日本)私は法輪功の修煉を始めて十数年になる若い弟子です。この間、何度か「病業の関」を経験しましたが、生命に危険が及ぶほどの深刻なものはまだありませんでした。煉功はあまり精進していませんが、普段の身体の状態は良い方でした。法を正すことがここまで来ており、真修弟子はみな全力で師父に遵ってて法を正し、衆生を済度しているので、まさか自分が再度深刻な病業の迫害という魔難に遭うとは思いもよりませんでした。この魔難は1カ月半続き、時には自分が生死の狭間をさまよっている感じがしましたが、最後にやっと幾重にも執着を探す過程を経て乗り越えることができました。明慧ネットが病業をいかに乗り越えるかについての小冊子を出しているのを見て、私の経歴を書き出し、他の同修の参考になればと思います。

  一.集団で学法、煉功、交流を行うのは師父が残された修煉方法で、集団から離脱すると邪悪の攻撃の対象になりやすい

 今年7月のある日の夕方、私は突然身体の調子がおかしいと感じましたが、気にせず、普段より早めにベッドに入りました。夜中に発正念の時間ではないかと思い、時計を見ようとしたとき、突然腹部が激痛に襲われ、そのまま倒れ、転げまわりました。私は心の中で「師父、助けてください」と叫びながら、講法のテープを探しスイッチを入れました。師父の講法を一言も洩らさないようにと自分に強制しながら聞きました。しばらくすると痛みが徐々に軽減し、眠ることができました。翌朝目が覚めると、激痛は軽減されたもののまだ痛みがあり、食事も摂れないほどでした。

 私は学法、煉功、発正念を続けましたが、自分がとても弱っていると感じました。2日目の深夜、強烈な痛みが再び襲ってきました。それは私の我慢の限界を超えるものでした。私は必死に師父にお願いしました。最終的に師父の説法テープを聞きながら夜が明けるまで我慢しました。昼間は水一滴ものどを通らず、吐き出したのは緑色の液体で、おそらく胆汁ではないかと思います。

  3日目の夜、私の状況を知った一部の同修が家に来てくれ、一緒に学法と発正念をしてくれました。その後同修は、一体何の執着によって旧勢力の迫害を招いたのか、内に向けて探すことにも協力してくれました。煉功は少なかったものの、「三つのこと」は良くできていると自分で思っていました。普段も大法を実証することは進んでやっており、他の同修にも促したりしていたのに、どうしてこんなに深刻な状況が現れるのでしょうか?

  数日前の事を思い出し、唯一心持が正しくないと感じたのは娘に対する情が重すぎる、ということでした。自分のまだきれいに取り除かれていない顕示心、歓喜心、闘争心、嫉妬心などの執着心と党文化による一部の悪い習慣「独りよがり、大言壮語(実現出来そうもない事を、口でだけさも出来そうに言うこと)、他人を尊重しないなど」も意識でき、取り除く努力もしているので、このような深刻な迫害の理由にはならないはずです。同修も、娘に対しては自分の子供として扱うのではなく、大法弟子として見なすべきだと指摘してくれました。

 情に対する執着を認識できたので、この関門はもう乗り超えたと思いました。しかし、3回目の痛みがまた襲ってきました。この時の私はもう完全に抵抗する力を失っていると感じました。夫(同修)に、私の状況をメーリングリストに発信し、同修のみんなに発正念をお願いするしかないと言いました。私は意識朦朧の状態でベッドに横になっていました。半日後、徐々によくなっていくような感じがしましたが、多分みんなが発正念をしてくれたおかげだと思いました。私は起き上がり、少し食べることができ、吐き出すことはありませんでした。

 夜になり、また同修が家に来てくれ、ある煉功場の同修たちは、煉功が終わってから私のために残り、発正念をしてくれたと教えてくれました。私はとても感激しました。同時に自分の深刻な問題に気がつきました。それは、私がすでに師父が残してくださった修煉方式から離脱していることに全く気がつかなかったことでした。私は仕事の関係上、地元の集団学法や煉功、交流にはほとんど参加しませんでしたが、メディアの仕事に多く関わっていたので、自分では集団環境から離脱していないと思っていたのです。師父は、学習者がメディアの仕事に関わっていても、地元の煉功場から離脱してはいけないと強調されたのです。付いて行っていない学習者は、邪悪の攻撃の対象になりやすいのです。

  二.「他人に言わせない」あるいは「人間の中の正しさに執着する」ことは、自分の利益を守るためであり、偽の修煉である

 これで関門は通り越したと思っていましたが、もっと大きい魔難がまだ後に待っていました。身体の激痛がなくなり、私はやるべきことをなるべくやるようにし、身体の反応は気にしないようにしました。最初は歩くのが多少困難でしたが、数日後にお腹が膨らんできているのに気がつきました。1週間のうちになんと妊娠6〜7カ月の妊婦のように膨らみました。私は動くのも困難になり、徐々に話をする気力さえなくなっていきました。以前、明慧ネットで大陸の同修が刑務所で迫害を受け、やせこけて骨しか残っていないのにお腹だけが大きく膨らんでいる写真を見たことがありますが、私の身体の状況もそのような感じでした。これは私に対する旧勢力の迫害であると認識しました。しかし、どの執着がまだ認識できず、邪悪に隙に乗じられたのでしょうか?

 時はちょうどワシントンDC法会の時期で、夫は真相を伝えるため早めに1人でDCに行きました。私は4歳半の子供にご飯を作る気力もありませんでした。普段はやんちゃな娘がその間はとてもおとなしく、私がベッドの上で動けないと、娘は横で私に『洪吟』を読んでくれました。それまでは知っている漢字がさほどなかったはずなのに、しかしそのときの娘はほとんど自分で読めたのでした。読み終わると私を引っ張りながら、「ママ、このままずっと寝ていたら駄目、起きて煉功しないと」と言うのでした。「ママが煉功と発正念をするときは身体中がエネルギーだよ、邪悪も近寄れないよ」と教えてくれるのでした。

 確かに煉功と発正念をすると良くなっていると感じましたが、やめるとまた駄目になるのでした。娘は1人で楽しそうに遊んでいます。紙に私が教えたこともない漢字をたくさん書きました。師父が面倒を見てくださっているのだと、私は感じることができました。

 娘を連れてDCに向かう途中、今にも自分が駄目になりそうでした。飛行機の中で、もし私が死んだらどうなるのか? と考えました。心の中に恐れはなく、捨てられないものもないといった感じで、さらには一種の解脱感さえ覚えました。しかし、理知的な一面がすぐ、もし私が本当に常人のように「病死」したら、大法を破壊する作用を果たすのではないかと自分に警告を発しました。周りの親戚や友人は、私が法輪功の修煉を続けるために中国国内のすべてを放棄して、海外に来て一からスタートしたことをみな知っています。もしこの若さで死んでしまえば、彼らはどう思うのか? 邪悪もこれを利用してデマを流すかもしれません。私はまだこんなに若く、常人のいわゆる技能もいくつか持っているのだから、生きていたらできることはたくさんあるはずです。私は絶対に死んではいけません! 私は心の中で黙々と、一切の死に関する考えや念を否定しました。

 突然、脳裏に師父の「北米第一回法会での説法」の一部分が現れました。「もし修煉者が表面で放下しているだけで、内心ではまだ何かを守り固守していて、自分の最も本質的な利益が傷つかないようにしていれば、皆さんに教えますが、これは偽りの修煉です!」 私が自分の問題点を探し出せないのを見て、師父が啓示を与えてくださったと感じましたが、当時は心の中でまだ少し不服に思っていました。「常人が重く見ているいわゆる出世や仕事、利益を私は全部放下した。まさか表面上だけで放下したのか? 内心では本質的な利益を固守しているのか? もしあるとしたら、師父はきっといろいろな方法でこれらを暴露してくださったはずではないか。ただ私が悟れたかどうかだ」

 (続く)

 2009年10月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/10/12/210090.html

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