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遼寧省:杜振君さんは釈放後も家に戻れない

(明慧日本)遼寧省鉄嶺市の法輪功修煉者・杜振君さんは、2008年に連行され1年の労働教養を科された後、今年8月7日に釈放された。しかし、1カ月も経たないうちに、家を離れて転々とせざるを得なくなった。

 2009年8月30日、張相鎮の警察署長・李猛は杜さんに「明日8時に張相鎮警察署に来なければ逮捕しに行く」と言った。杜さんは警察が逮捕を企んでいるのに気づき、再び家を離れざるを得なくなった。

 現在、張相鎮警察署の警官は杜さんを追跡し、杜さんの家族の電話を盗聴している。

 杜さんは「真・善・忍」の信念を堅守したため何度も地元の警官に連行され、金をゆすり取られ、労働教養所で迫害を受けた。

 法輪功の修煉を積んだ杜さんの人柄は、同郷の人からも好評だった。杜さんの妻は、長患いで寝たきり状態となっており、杜さんが妻の世話をした。家族を養うため生活費も稼がなければならなかった。生活はとても苦しいが、楽観的で世話好きで、個人の損得には無関心だった。

 2006年1月9日、杜さんは清河区公安分局の元国家保安大隊長・李猛、楊蕾、王桂芬に連行され、さらに家宅捜査を受けた。李猛は杜さんのポケットから173元を奪い取り、何の手続きもせず現金を自分のポケットにしまいこんだ。そのお金は、杜さんが新年を祝うために用意していたものだった。拘禁中、警官は4本の高圧スタンガンを使い、杜さんの全身に5時間も電気ショックを与えた。李猛は村長に指示し、「1万元を出せば、何とかする」と書いた手紙を杜さんの家族に送らせた。杜さんの家族は清河区・公安分局政委の邱志武に1万元を渡し、さらに鉄嶺公安局の官吏に1万元を渡した。しかし、杜さんは不法にも3年の執行猶予を言い渡された。そのため、杜さんの生活はますますに苦しくなった。

 2008年オリンピック開催前、杜さんの妻が他界してすぐ、警官は杜さんを再び逮捕しようと企んだ。しかし、杜さんはうまく脱出し、住まいを転々としていた。

 2008年10月、杜さんは家に戻ったところを、張相鎮警察署・元署長の趙明に連行され、家宅を捜査された。家宅捜査中、警官の劉永仁は杜さんの頭に黒いビニール袋を被せ、殴った。杜さんは全身アザだらけになり鼻血が出て、窒息しそうになった。杜さんの家には高価なものはなく、警官・劉永仁は家に唯一ある新しい布団を奪った。警官は恥ずかしげもなく、杜さんの家族にはっきりと言った。「手続きはまだ完了してない。もし金を出すなら釈放する」 杜さんの家庭はもともと貧しくて何もない上に、金や物はすべてゆすり取られていた。警官は、これ以上何も取れないと分かり、新年の前日に杜さんを本溪労働教養所に拘禁し、1年の労働教養処分を言い渡した。

 2009年8月7日、杜さんは釈放され、警察に奪われた布団の返却を求めたが、劉永仁は「探しても意味がない。もうなくなった」と言い放った。警官は杜さんに半月に1回警察に来て、半月の間に何をしたかを報告するよう要求した。しかし、杜さんは警察に行かなかった。8月30日、署長の李猛は電話で「明日朝8時に警察に出頭しろ。来なければ逮捕する」と脅迫した。杜さんは逮捕を避けるために、再び家を離れて転々とせざるを得なくなった。

 9月中旬、杜さんの友人は娘さんに電話し、苦境にいる杜さんに仕事を探すよう話し、杜さんの住所を伝えた。しかし、電話をして2日目、清河区国家保安局大隊が杜さんの住所を探し当てたた。運よく、杜さんは不在だったが、電話はすでに警察に盗聴されていたのである。

 2009年10月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/28/209167.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2009/10/6/111356.html

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