■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/10/17/mh181664.html 



慈悲心を持って衆生を救う(一)

(明慧日本)法輪功を修煉して以来、私は常に自分が大法弟子になれた幸運を感じていました。千万年待ちのぞんだ末、ようやく師父と出会えました。しかし、幸運に満足するだけなら、やはり「私欲」からでたものにほかなりません。「私は円満成就ができる」と度々考えているからです。しかし、大法弟子の使命は師父の正法に力添えをし、衆生を済度することにあります。人の心はだめになり道徳水準も低下するばかりです。個人の円満成就を願うことに意味があるでしょうか?

 もし円満成就ができたとしても、どこに行くのでしょうか? 大法弟子としては、ただ師父のいう通りに行い、急いで人々を救うことが根本的なことです。

 真相の説明は、大法弟子が人を救い邪悪から人を連れ戻す重要な形式です。何年にもわたる真相説明で、私は辛い経験をしてきました。最初の、「積極的に真相説明しよう」から「仕方が無く真相説明しよう」にまで変わって、徐々に「恐怖心を持ちながら説明する」ようになりました。最後にようやく「慈悲心を持って真相を説明しよう」と思えるようになりました。この過程は、完全に心性を修煉する過程にほかなりませんでした。

 私は最初のころ、積極的に真相の説明を行いました。初めは順調でしたが、段々と思いがけないことが出てきました。ある人に真相説明しようとした途端に、「こんなことを私に話さないで! 無神論者なので」と先に怒られました。あるとき、古い友人やかつての隣近所の老夫婦に真相説明しましたが、ご主人に「あなたはもう話さなくていい。これぐらいのことは分かるよ…」と不機嫌そうに言われました。私は内向的で世間体を重く思う執着を完全に取り除いていませんでした。常人にこんなに言われると、自分が間違ったことをしたような気がして、どうしたらいいのか分からなくなり、真相説明の難しさを感じました。

 難しく感じてもしないわけにはいきません。師父の言われることを聞かない弟子がいるでしょうか? それで、真相説明をするにはしましたが、常に説明後の結果に気持ちが左右されました。相手が聞いてくれたら、嬉しく感じ歓喜心を生じ、相手が聞いてくれなかったら、力が抜けてしまいます。こんな心性の下で、挫折が増える一方でした。またあるとき、車のドライバーに真相説明後「あなたたちは社会の異分子だ! しかも政治をやっている」と怒って言われました。政治をやっていないと言っても聞いてくれませんでした。

 ある同僚が私に「他人が、あなたが真相説明をしていると言いふらしているそうです。もうしない方がいいですよ! 気をつけてください!」と心配そうに言ってくれました。また別の同僚は「あんなことを誰にでも言うべきじゃないですよ。彼はあちこちで言いふらしていて、怖くてしょうがない。『真相説明のDVDを返してやる』とまで言い出したのですよ!」と、私に忠告してくれました。でも、DVDは返されることはありませんでした。

 あるとき、局長に真相を説明していたら、局長は「私はあなたを保護したよ。さもないと…」と言いました。私に危険が迫っていると、暗に忠告したのです。

 こんなことが何件か積み重さなり、真相説明を聞いてくれた人たちは、ほとんど私の知り合いだと思い出し、家にある資料の安全が心配になってきました。段々と私は、人と顔合わせ真相説明することに恐怖心が生じてきました。相手が聞いてくれなかったら、危険があるかどうかを先に思うようになりました。これは私の真相説明の質と量を左右しました。恐怖心の下で真相説明をしたので、自然と怠け心を助長してしまいました。真相説明は、人の顔を見て資料を渡すように変わりました。当然ながら、家に資料があるから、こうしたほうが安全だと自分に言いきかせ、口実をつくりました。そのため、真相説明したら迫害されるという、旧勢力の理を承認した結果となりました。

 こういう恐怖心の下でやっていると、心中はとても辛いもので、師父と衆生に申し訳ない気持ちで一杯になりました。大法弟子の使命感から、私は一日でも早く恐怖心から抜け出すべきだと気付きました。それから、私は法を沢山勉強し、同修の関連の交流文も真剣に読み、内に向けて探しました。そうしたら、私は自分の真相説明の出発点が間違っていたことに気付きました。初めから積極的に真相説明をしましたが、出発点は「これは先生がくれた宿題なので、生徒として終わらせるべきだと」いう感覚でやってきました。しかし挫折したら自分の世間体をまず考え、危険を感じたら先に自分の安全を案じました。これらはすべて「私」から出たもので、衆生の済度を前提にしての真相説明ではありませんでした。だから、説明するときには相手の態度などに特に注意を払って、心を相手に募らせてしまいました。断じて真相を聞かない人と会ったら、もう真相など説明したくなくなります。もう会わないにしよう、顔をすら見たくないと思ってしまいます。これはまさに師父が指摘された「済度に条件をいう」ことではないでしょうか?

 さらに内に向けて探してみたら、出発点が不純だったと認識しました。自分がよくやらなかったら取り残される、円満成就できない、との心配から真相説明をしていたのです。心配を抱えながら真相説明を無理に続けており、迫害も早く終わってほしいと願っていました。探せば探すほど、深く隠された執着心を見つけ出しました。棒で殴られたような気持ちでした。執着心を多く抱えて真相説明をしていたら、必ず段々と追い詰められていくでしょう。大法弟子が、この特別な時期に法輪大法の師父と共に生きているのは、人を済度するためだと、私は法から悟りました。

 私の悔い改めた真心を見届けて、師父が助けてくださいました。真相説明する中で進み具合がよく、「私は人の済度のために来た! 出来なかったら来る意味がない」という新しい悟りを感じ取りました。

 (続く)

 2009年10月17日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/8/29/207338.html

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