情に対する執着を捨て去る 文/中国の大法弟子
(明慧日本)修煉の道を歩み始めてから数年が経ちました。しかし、私はまだ多くの執着を放下しておらず、良く修めていませんでした。
去年9月、高校生の子供が良い成績が取れるようにするため、子供と学校の近くに家を借りて一緒に住みました。その時、大学受験のため子供は毎日、朝6時から夜10時まで学校で勉強し、家に帰ってからもまた勉強していて、そばで面倒を見てあげなければならないと思いました。結果、子供に対する情が重くて、9ヶ月も一緒に住みました。それで集団学法の環境から離れて、毎日法を学んではいましたが、心に入らず、修煉の道で遠回りをしてしまいました。
私は子供のためこんなに犠牲を払いましたが、子供は家に帰ったら、機嫌が悪くなりずっと小言を言いました。「お母さんは今修煉者ですか? 集団学法にも行かず、真相も伝えていません。早く実家に戻ってください。私の面倒を見なくてもかまいませんから」しかし、私はこの情を放下できず、ずっと息子のそばにいました。息子は私のために言ってくれているのに、私を怒らせていると思って、師父が息子の口を使って私を悟らせているのだとは思いませんでした。数日経って、子供が「お母さん、このようだったら修煉しないほうがいいですよ」と言ったので、私は怒って思わず「私は修煉しない」と言ってしまいました。自分の情が重くて、旧勢力に隙に乗じられました。心にもない、一番怖い話を口に出してしまいました。私は非常に後悔しました(厳粛に自分の間違いを声明して、他に一篇の文章を書きました)。
師父の『洪吟・圓満功成』の詩を学んでから、私ははっと悟りました。情がこんなに重くて、圓満成就できますか。これ以上、情に苦しめられてはならず、情を薄く見て情に対する執着を捨て去るべきだと思いました。今考えて見ると、本当に恥ずかしくてたまりません。集団学法の環境から離れて、師父が按配した道を歩まず、無駄な回り道を歩んで、同修と大きく離れてしまいました。師父は『転法輪』の中でおっしゃいました。「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」あらゆる人間の名、利、情を放下しなければなりません。
2009年10月17日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/10/15/210402.html)
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