学法の大切さについて 文/長春の大法弟子
(明慧日本)師父が大法弟子に要求された「三つのこと」をよく行うためには、法の学習はとても重要だと思います。学法をよく行えば、修煉の基礎を固め、旧勢力の妨害を防ぐことができます。本当に学法をよく行えば、大法弟子の安全の保障になるのです。
1999年7.20以前、私は1回だけ『転法輪』の暗唱を行いました。その後、師父の新しい経文の勉強と明慧ネットの同修の文章を読み、法を学ぶことはいっそう重要であると感じて、私はまた法の暗唱を始めました。その間に、我が家に孫が生まれて、家事が多くなりましたが、私は大法の本を本棚に立て、子守をしながら、本を読み、暗唱しました。一段落を読み、その段落を暗唱し、よく暗唱できたら、次の段落に進みました。その暗唱の過程は、往復する連続の過程で、細かい時間を繋いで有効に利用することができました。私は、料理をするときも、洗濯をするときも、雑用をするときも法を暗唱しました。忘れたところがあれば、すぐに本棚の法を読みに行きました。時々、夢の中でも法を暗唱しました。2年間に、十数回『転法輪』の暗唱をしました。それによって、法の暗唱の大切さと玄妙さを悟ることができました。
例えば、真相資料を配るときや真相を直接伝えるとき、自分の一言や一つの行動が法に従っているかどうか照合できました。また、内に向かって探すとき、法に照らして、常人社会のさまざまな汚染を防ぐことができました。修煉の道に迷いがあるとき、頭の中に師父の『転法輪』の中にある説法がその迷いの回答のように、はっきりと現れてきました。一人ひとりの大法弟子が本当に修煉の道で、「法を師とする」ことはもっとも重要なポイントだと私は思っています。
ある日、私は、真相資料を配るため、公安局や検察、法律などの関係者が多く住んでいるマンションに行きました。この棟には三つの入り口があり、AとBの入り口の住民には真相資料を配布したことがありましたが、Cの入り口のところは真相資料を配布したことがありませんでした。なぜかというと、その入り口のドアはいつも閉じたままで入れませんでした。しかし、ずっと気にかけていました。その日、なぜか珍しく入り口のドアは開いており、30歳ぐらいの若者が立っていました。若者は誰かを待っている様子でした。私は自分のやるべきことだけ考えて、若者のことを気にせず階段を上りました。真相チラシとDVDを一軒一軒に配布しながら、師父やほかの空間の「正神」に加持をお願いし、住民が大法の真相を受け取り、救われるようにとお願いしました。そのとき、『転法輪』の「あなたが真の修煉者であれば、われわれの法輪が守ってくれます。わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」の説法が頭に現れました。
真相資料を配った後、Cの入り口から出ました。そのドアのところに立っていた若者は私の出入りを見て、すぐにCの入り口に入りました。私は、その若者がすぐに中に入ったのは、真相資料が配布されているかどうかのチェックだと思い、彼が私服警察だと気づきました。しかし、私は焦らず、慌てずまっすぐ去って行きました。しばらくすると、その若者は走ってきて私の前で止まり、私と真正面に向き合いました。しかし、彼は、あちこち探している様子で「何で姿が見えなくなったのか、どこへ行ったのだ」と独り言を言いました。
私は彼の目の前にいるのに、彼は私が見えませんでした。それは、大法のパワーで、師父と「正神」の加護だと私は分かり、私は大法の超常を体験できました。もし私が普段、法をよく学ばなかったら、ここまで穏やかにはできないと思います。私は、しばらく歩き、振り返ると、若者はまだそこに立って見回していました。「この人はいつ大法の真相がわかるようになるのか、この人はいつ救われるのか、この人はいつ目が覚めるのか」と私は若者のことを悲しく思いました。それと同時に私は衆生を救い済度する責任と重大さを感じました。
それはよい体験だったのですが、私は歓喜心を起こしました。「これから、真相資料を配るとき、パトカーや警官が見張っていても気にしない」と私は発正念のときにこの一念を加えました。実際、この歓喜心で起こした念は、旧勢力に隙を与えてしまいました。ある日、私は真相資料を不動産会社の前に置きました。少し後ろを見たら、パトカーから3人の警官が降りてきて、不動産会社に用があったのかもしれないのですが、私はびっくりして、真相資料を握ったまま、動けなくなりました。表情は変わりませんが、とても恐怖を感じました。2〜3秒間、頭がからっぽでした。警官の1人が、私が持っている真相資料をちらりと見ました。私は、すぐ離れようという気持ちで歩き出し、そして走り出しました。気になって、後ろを見ると、そのパトカーは止まったままでした。そのとき、「なぜ逃げるのか」というほかの空間からの声が聞こえました。
家に帰った後、私は、すぐに内に向かって探しました。実は最近、歓喜心、闘争心、顕示心、恐怖心などが顕われて、「正念正行」をやり遂げることができていなかったのです。師父は「修煉はきわめて苦しく、非常に厳粛なことです。ちょっとでも油断すれば、堕ちてしまい、長い間の努力が一瞬にして台なしになるかも知れないのです。ですから心を必ず正しくもたなければなりません」(『転法輪』)とおっしゃいました。
この出来事から、私は、自分は法の学習がまだまだ足りないと感じました。修煉の中でどんな執着心があっても、修煉の障害になり、取り除かなければならないと認識できました。もし、師父と他の空間の正神が保護してくださらなかったら、その状態で私は危険を避けられないでしょう。旧勢力は私たち修煉者の隙を見つけたら、きっと脅威を振るうでしょう。ですから、私たち修煉者として、いつも自分を緩めることなく、衆生を救う動機を正し、常に理性的に行わなければならないと私は認識しています。
私が知っている同修は、私と同じ50歳すぎなのですが、修煉し始めてから『転法輪』を100回以上暗唱しています。修煉状態がとても良く、確実に「三つのこと」を行っています。
少し前に、私は次のような夢をはっきりと見ました。まもなくお祝いの大会を開始するときに、開会のために台を組み立て、二つの用事のため、大会の関係者に参加できないと言いに行きました。その後、山々に珍しい花がきれいに咲いていて、ただバスケット場のような大きさのある場所だけが花も植物も何もない光景だったのです。目が覚めて、私は「その二つの用事は私の二つの執着心で、何もないところは自分の家の周りに真相資料を配布してない場所がある」と悟りました。
今後、私は修煉の道で心性を修め、法の学習をよく行い、大法弟子としての責任感と使命感を固め、旧勢力に隙に乗じられないように、修煉に妨害があるトラプルを起こさないようしたいと思っています。正念正行で、本当に私心のない大法弟子になりたいと思っています。
今、私は学法グループに参加しています。同修に教えてもらい、大法弟子のホームページを見られるようになりました。修煉の道で大きな一歩を踏みだすことができました。
2009年10月18日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/10/7/209761.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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