日本明慧
■印刷版   

「私」を後にし、「私」がなくなるよう努力し続ける

(明慧日本)私は法輪功の修煉を始めたのが遅く、法をしっかり学ばず、なかなか実践もできなかったがゆえ、真相を説明する際に邪悪に隙に乗じられ、何度も迫害されました。家族はショックを受け、私が修煉することに理解を示しませんでした。今回、師父のご加護の下で、労働教養所から出ることができました。帰宅後、むつまじく暮らしてきた夫が、私の友人とまさか不倫をしているとは思いませんでした。

 当時の私は常人のように激しく反応はしませんでしたが、でもとても辛っかたのです。良くない考えが常に頭に浮かんできて、甚だしきに至っては主人と離婚しようと考えたこともあり、法を学ぶことのにも影響が出ました。しかし、私は夫や夫と関わりのある人たちを救うべきだということが分かっていたので、修煉者として離婚すべきではないと考え、良くない考えが出たら、極力それを排除しようとしました。

 心性が高まるにつれ、私は苦痛や苦悩の源が「私欲」と「私」から来たものだと認識しました。無私無我の境地に到達した真の自分の本性は「真・善・忍」に符合しているはずです。外部の環境に左右されるのではなく、苦痛や苦悩に煩うこともありません。主人の一件によって出てきたあらゆる苦痛や悩みと良くない考え、想いは全部本当の自分から出てきたものではないと思い、排除しました。だんだんと私の慈悲心が出てきて、無私の本性が次々と現れてきました。すると、主人と顔を合わせても、常人の情を持って接しなくなり、心も清らかになっていきました。慈悲心を持って主人の面倒を見てあげることもでき、不倫が良くない行為で、自分を害するだけではなく、家族や周りの人にも害を与えてしまうことだと主人に話しました。主人は私の心性が高まるにつれて、態度も変わってきて、誠意を持って私に頭を下げて謝り、これからはもうしないと約束をしました。

 師父のご加護に感謝いたします。私の執着がこのことのきっかけで暴露され、取り除くことができ、心性の向上に伴って、情により他人を傷つけるようなことがなくなりました。この難関を乗り越えて次のことを悟りました。「以前、私は家族に対して無私無我で慈悲を持って接することがありませんでした。多くの場合は情を持ちながら真相を説明し、結果がいつも良くありませんでした。情を取り除いてからようやく慈悲が生じてきて、慈悲心があるからこそ、家族や他人に真相をよく伝えることができ、聞き入れることもよくできると思います」

 今日一日の自分をもう一度見直してみたら、自分自身は無私無我の境地に修めるべきということを知っていても、しかし、私欲や生きていく中で溜まってきている私的な考え、思惟が心の奥底に隠れていることに気付きました。よく気を留めないと気付くことができません。例を挙げてみましょう。例えば、私が法を勉強したい、私が煉功をしたい、私が真相を伝えに行きたい、私が衆生を救いたいなどを思うと、いつも、私を前提に置いており、いつの間にか「私」を大事にしてしまいました。はなはだしきに至っては、買い物のときも、どれが安いのか、安いのを買おう、あるいは安ければ大目に買おうと思ったりしました。また、真相を伝えに行くときも、先に考えるのは安全のことでした。まず衆生を済度することを第一に考えていませんでした。こういう状況はすべて後天的な「私」が左右して起きていたことです。これがだんだんと少なくなっていったら、本来の私の本性が強くなっていき、「真・善・忍」の特性に早く同化することができます。

 これから、法や宇宙と衆生にやるべきことを(私は)多くやって、師父の仰ったことに(私は)従い、「私」という字を文章の後ろに置き、「私」がなくなるように努力し続けようと決心しました。この文を書き出したのは、私と同様な問題を抱えた同修がこれを機に、自分の一つ一つの考えを見直してみてほしかったのです。「私」という考えがあるかどうか、どのように位置づけているかをチェックしてみてはと思います。不適切がありましたら、慈悲なるご指導をお願いいたします。

 2009年10月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/10/16/210462.html

■関連文章
苦悩の元は執着心であり環境の問題ではない
私心を探し出す
私の世界は私が決定を下す
正念を持って邪悪なアジトを脱出した感想
大法小弟子へのテスト
修煉の道に「例外」はない
正念を用いて物事に対処し、5年間の苦痛が一瞬にして解けた
長時間の発正念で身体浄化ができる
二言三言:誰がすべきか
天津市大港区:何亜娜さんは麻薬中毒強制回復所に監禁され、娘は入学できない