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自我を放下すれば修煉の中にいる

(明慧日本)師父こんにちは、皆さんこんにちは。

  私は2004年4月から大法弟子が立ち上げた『大紀元時報』の営業の仕事に加わりました。この道で様々な辛酸(種類さまざまの苦労)を嘗め尽くして、ここまで歩んできました。同修は何を頼りに今まで頑張ってこられたのかと私に聞きます。頼りといえば、一言だけです。それは「師父を固く信じ、法を固く信じる」という事です。挫折に遭遇して、放棄しようと思うたびに、学法を通じていつも法から新たにパワーを得ることができたのです。常に師父がすぐ傍におられ、私を励まし、見守られていることを感じられたのです。今日、この場を借りて、私の最もつらい時期に支えて、助けてくださった師父、同修に感謝の意を表したいです、ありがとうございました。

  大紀元の営業の仕事に参与したのは、まさしく偶然でした。ある同修の会話から当時の大紀元は資金集めに差し迫っていて、営業に回れる人手が必要だと知りました。私たちのメディアが成長していくには堅固たる資金の確保が必要で、常に学習者の援助に頼ってばかりでは解決できないと認識し、心を決めて、営業の仕事を始めました。

  創刊当初の「大紀元時報」は、掲載記事の選択、編集を問わず未熟なものでした。しかも当時の民衆はほとんど中国政府のデマと宣伝による影響を受け、法輪功に対し、マイナスのイメージしか持たなかったため、営業先で先方に冷ややかな対応をされたり、皮肉を言われたりすることはよくあることでした。広告の勧誘は言うまでもなく、そのお店に足を踏み入れることさえも巨大な勇気が必要でした。このような時に、師父の言葉が常に耳のそばで響きました。「『忍び難きは忍びうる。行い難きも行いうる』実際その通りです。皆さんはお帰りになってからぜひ試みにやってみてください。本当の劫難に直面した時、或いは、関門を乗り越えるときに、試みてください。耐えがたいものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、おこないがたいと言われても、本当にいけるかどうか試しにやって見てください。もし本当にやりとげられれば、きっと『柳暗花明又一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません」。(『転法輪』)「行い難きも行いうる」、その通りではありませんか? たとえ、営業できなくても、相手に真相を知らせるだけでも、決して無駄足ではありません。多くの場合は先方に真相を伝えていくうちに、法輪功の真相も明らかになり、それゆえ、先方は大法弟子が作った新聞に対するマイナスなイメージも変わり、一部の企業と友好関係を築き、広告の仕事も少しずつ増えていきました。 

  大紀元の営業の仕事において、私にとって、もう一つの試練は仕事に対する情熱を持つことではなく、仕事を続けることでした。少しでも動揺してしまうと直ちに試練が現れてきます。ある顧客は私が根気よく広告の勧誘を粘り続けるのを見て感動し、「大紀元を辞めて、うちで働いてくれれば、待遇は保障します」と私を誘いました。ある商社も高い年俸で私を営業主任として雇うと宣言しました。これらの試練に直面して、やめるか、続けるか、後の学法を通じて悟りました。現在、私が行っていることは単なる営業の仕事ではありません。自分の誓約、修煉、円満成就後の全てが現在の行いの中にあります。どんなに難しい、大きな試練であろうと、しっかり最後まで歩み続けなければなりません。決して揺れることは許されないと認識しました。決心を固めると、その後、二度とこのような誘いは現れませんでした。

 それ以外にも大紀元の営業の仕事を良くこなすと同時に、自分を修めることは私にとって、もう一つの試練でした。初めの数年間、この仕事に参与する学習者が少なかったため、私はほとんど単独で行動をとっていました、同修同士のチームワークにおいて、心性の関はまだ際立った問題ではありませんでした。その後、営業部の人数の増加につれ、この面においての関も次第に増えました。古い営業マンとして、営業部のセールスマネージャーでもある私にとって、いかに新人が早く成熟し、独り立ちができ、その上、全体が一体となり、団結精神を発揮できるように育てるかが負うべき責任であります。しかし、私心を差し挟んだため、新人はほとんど続かず、営業部の人手不足の状況が長期にわたって続き、新聞社の経営の足手まといになりました。当時、こういったところを修めたほうがいいと同修からのアドバイスもありましたが、営業の仕事に没頭し、真剣に自分を修めようとしませんでした。口先では認めましたが、内に向かって探しませんでした。自分を高めるチャンスを何度も失いました。

 最近になって、ある会合で同修はこれまでの長い間、私に存在するこの問題点を指摘してくれ、私に大きな衝撃を与えました。その同修は新入りだからあまり事情を知らないので話が事実と一致していないと、最初は納得できませんでしたが、冷静になり、その同修の指摘が正しかったことが分かりました。ただ自分は虚栄心にかられていたため、そこは認めたくなかったのでした。今回の心性上の衝突は私を大いに目覚めさせ、修煉の厳粛性と緊迫感を認識させてくれました。まさしく、師父が『転法輪』の中で述べられたようなことです。「例えば、常人は様々な良くない心を持ち、個人の利益のためにいろいろ悪いことをし、そこで業力 という黒い物質を得ることになります。これはわれわれ自身の心と直接に関係していることなので、良くないものを取り除こうと思えば、まず自分自身の歪んだ心を是正しなければならないのです」

  師父のおっしゃる通りです。良くないものを取り除こうと思えば、まず自分自身の歪んだ心を是正しなければなりません、さもなければ、業力を取り除くことはできません。宇宙の特性に同化して、返本帰真することもできません。私はこの法理を悟った時に気持が直ちに軽やかになると同時に、難を乗り越えた時の喜びを久しぶりに味わいました。すでに悟ったからには、行動に移さなければ、真の修煉ではありません。しかし、この私(し)のため、自分のために動く心を完全に取り除いて、私心のない大覚者になることはそう容易なことではないようです。師父が『洪吟』の中にある『その心志を苦しめる』に書かれたように、「身を労するを苦と算えず 心を修するは最も過ぎ難し」を痛感できました。

 決心してこの私心を取り除こうと思い始めたら、周囲の環境が著しく変わり始め、以前、あまり話してくれなかった同修も声をかけてくれるようになり、私との間にわだかまりのある同修も心を打ち明けてくれるようになりました。営業部に新しく加わった学習者もここの雰囲気が日に日に和やかになり、皆がまるで家族のように感じると言います。新たに自ら大紀元営業チームに入る学習者も続出し、新聞社の経営状況も明らかに改善されました。

 今回の心性の関の試練を通じ、どんなことがあっても、大法のプロジェクトに参与することは、ただ仕事をこなすことだけに留まるのではなく、自身を修めることを見落としてはならないことを悟りました。そうでなければ、自分自身の修煉に対して無責任であり、そのプロジェクトの足を引っ張る事にもなりかねません。自分自身にとっても、大法のプロジェクトにとっても不利なことです。 

 今、思い起こせば、ここまでこの仕事をやってこられたのは自分の腕がいいから、才能があるからではありません。師父がこれらの事を利用され、大法弟子を高めるチャンスを与えて下さったのでした。師父の慈悲深い済度に感謝します。決して、師父の深く切なる期待に背きません。必ずこの仕事をやり遂げると同時に自分をよく修めるように頑張りたいと思います。私たちの新聞が一日もはやく良い軌道に乗り、法を正す中でより大きな効果を発揮でき、より多くの衆生を救い済度できるように運営していきましょう。

  師父、ありがとうございます。同修の皆さん、ありがとうございます。

  2009年10月22日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/3/3/196416.html
(English:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/3/19/105741.html

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