■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/10/22/mh231762.html 



同修の長所を多く見て、全体の昇華を引き出す

文/中国の大法弟子 桂蓮

(明慧日本)とても長い間、私達の地方の多くの同修や協調人は、主要な協調人の趙さんとの間でずっと関係が悪く、個人の向上と、全体の円融と衆生済度に影響をもたらしていました。最近の師父のご啓示のもと、これ以上、趙さんの足りないところに執着するのではなく、逆に彼女の長所を見ることで、簡単に互いの隔てをなくすことができました。そして、個人的には修煉の道のりで大きな一歩を踏み出し、全体的にも昇華を得ました。

 事のきっかけは次のようでした。過去、私は主要な協調人の趙さんに協力して仕事をしたことがありました。協力する中でいくつか誤解と摩擦が現れました。もともと、私は矛盾が現れた機会を利用して自分の不足を探し、この「悪い事」を通じて執着を見つけ、心性を向上させる良い事にすべきでした。しかし、私は毎回反対の方法をとり、外に向かって、相手が法理に基づいていないとか、自分の法に符合しない言動をごまかすために手を尽くしました。誤解はますます大きくなり、矛盾はますますひどくなり、甚だしきに至ってはお互いの顔さえ見たくなくなるにまで至りました。趙さんは同修に、私と接触しないようにと言ったそうです。それを知った私はとても腹が立って、心の中で「あなたと協力しなくても私は真相を伝えて人を救うことができる、お互いに干渉することなく、それぞれ自分の道を歩めばいい」と思いました。そこで、私達はお互いに接触しませんでした。彼女は協調の仕事を続けてやり、私はできるだけ町や、田舎に行って真相を伝えました。私達は隣近所に住んでいましたが、まる2年間、互いに付き合うことはありませんでした。

 今年の春から、趙さんの良くない所が絶えず私の耳に入ってきました。多くの同修は皆、趙さんともう連絡せず、趙さんを避けて、甚だしきに至っては趙さんが持ってきた真相資料も拒否しました。このような場面に遭って、私は「趙さんの問題は比較的に深刻だ」と独断で結論を出しました。私は趙さんの良くない所で自分を照らしてみる(実は趙さんの問題は私にも存在していた)とか、心穏やかに趙さんと切磋琢磨しませんでした。そして、私は偏見を持って、不平の心を混ぜて、もう一人の協調人である張さんと、趙さんに厳しく話して、彼女を助けようと約束しました。

 中秋節前のある日の午後、私達は趙さんを訪ねました。座ってから、まず私が話をして、張さんが話をして、私達は交代で厳しく話しました。もちろん、話したのはすべて趙さんの足りないところで、すべて師父の説法に照らして趙さんのどこが法に符合しないなどと言いました。午後ずっと話しましたが、趙さんは静かに聞くだけで、ひと言も言いませんでした。顔にはひたすら汗が出て(実際その日の気温は高くなかった)、一言も自分を弁解しませんでした。

 趙さんの家から出た私と張さんは突然、堂々とした感じがなくなり、かえって心から不安を感じ、とても恥ずかしく思いました。昔の趙さんだと私達のあの責め方に対して、直ちにやり返したはずです。当時、趙さんはひたすら汗が出ていましたが、あれは間違いなく心をえぐって骨を刺すような感覚だったに違いありません! しかし、趙さんは反駁せず、弁解もしませんでした。趙さんはそこまで向上したようでした。このとき、「他人の長所を多く見る」という言葉が私の頭に浮かびました。私はすぐに悟りました。これは師父のお告げかもしれません。私は張さんに言いました。「私達は趙さんの短所だけを注視していました。彼女の長所を多く見るべきで、大法を実証する彼女の長所を見るべきです」 私達はこれまでの事を振り返って見ました。振り返ってみると、趙さんの長所が本当に多いことに気づきました。趙さんは何度も邪悪に拘禁され残酷な迫害を受けており、警官らにどのように脅かされても、虚言で騙されても、残虐な拷問を受けても、親心を刺激されても、彼女は罠にはめられることなく、邪悪に妥協したことはありませんでした。毎日たった2時間だけ寝て、夜9時に寝ついたら、12時に起きて発正念してからは再び寝ませんでした。静かに法を学び(彼女は昼間大法の事でずっと歩き回っている)、3時50分になると朝の煉功をしていました。彼女はすでに70歳ですが、真夏でも家の中で一人で真相資料を折り畳んでおり、汗で服がびっしょりぬれ、座っていたイスから汗の水滴が落ちるほどでしたし、折り畳んだ資料は千枚にも上りました。資料を折り畳むのがとても迅速で、若い人よりも速いのです。趙さんが受けた「試練」は誰より大きかったのです。数年間、家にいくつかの大きな不幸な事が起きましたが、毎回彼女がやっている大法の事に影響を与えることはありませんでした。私達の誰がこれらのことをやり遂げることができましたか? 彼女にはこんなに多くの長所があるのに、私達にはなぜ見えなかったのですか? 私達は口ではいつも師父の説法を鏡として、他人を鏡とすると言っていますが、具体的な事に出会うと、どうしても師父の法で他人を照らすのですか? どうして他人の良くない所を鏡として自分を照らさないのですか? 本当に考えれば考えるほど恥ずかくて、穴があったら入りたいくらいでした。このようにして、私達二人は趙さんに対する不満が瞬時に消えました。

 引き続き、私達はまた、趙さんと関係の悪くなっている地元の同修達を訪ねて、私達の体得を交流し、できるだけ早く隔てを取り除き、全体に円融することに思いつきました。何人かの同修と話をしたら、みんなすぐ自分が間違っていたと分かりました。「以前、内に向かって探し、同修の長所を多く見ると口では言っていましたが、実際にやっているのはちょうど反対のことでした。これからは、本当に真に修煉し、至る所で内に向かって探さなければなりません」 また、何人かの同修を訪ねて話した時、その同修は言いました。「すでに分かっています。あなた達が思っているように、実は自分に闘争心、不服心、自分を実証する心がありました。師父はあんなにはっきりと法を説かれたのに、私達は法に照らして行なっていませんでした。自分が愚かでした」

 同修のしこりが解けた後、私達はまた趙さんを訪ねて切磋琢磨し、誠意をもって自分の不足を探しました。趙さんは言いました。「あの日、あなたたち二人の批判を聞いて、心の中はとてもつらく、力が抜けました。私は毎日朝から晩まで大法のために忙しく走り回ったのに、しまいにはなんと何の良いこともしてないのではないか。協調の仕事もやめて、一人でやりたいことをやろうか、と思っていました。一晩が過ぎて、考えが変わりました。同修の批判は、師父が彼女達の口を借りて私に告げておられるのではないでしょうか、私を向上させてくださっているのではないでしょうか? 意地を張ってやめることはできるのでしょうか? 誰と意地を張っているのでしょうか? 師父と意地を張っているのでしょうか?」 私と張さんは話を聞いて、また深く感動しました。

 今、私達の地方は全体的ま協力がもっと良くなり、役割分担が順序よく、協力の息が合い、各プロジェクトはすべて秩序立てています。この事を通じて私達は、同修の長所を見ることは、隔てをなくし、全体に円融するいい方法だと体得しました。同修に良くない所があると思った時、必ずそれを鏡として自分を照らして探し、自分にもきっと修めなければならないことがあります。このような心理状態で同修と交流して初めて、良い効果があり、自分と全体ができるだけ早く成熟することができます。

 2009年10月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/10/19/210632.html

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