大法が私を変えた
(明慧ネット)私は老年の大法弟子で、学校教育は4年間くらいしか受けられませんでした。地主の家に生まれたため、生まれてから中国共産党の脅迫・迫害を受け、限りない苦痛を経験しました。そのせいで、粘り強くなりましたが、勝ち気で人にものを言わせない性格にもなりました。修煉を始めて、慈悲深い師父に感謝を申し上げます。法を実証する道で、私はあまりよくできていないと感じていますが、1人の大法弟子として、私が自分を振り返って総括したものを師父にお話ししたいと思います。ぜひ同修は慈悲に指摘してください。
英語を知らないのに資料をプリントできた
2007年に我が家に家庭資料点を設立しました。娘が主にやり、私は手伝いをしました。パソコンが目の前にあっても、私は英語の文字さえ分からないので自分自身で真相資料を作ろうとは思いませんでした。ある日、同修が私に「あなたもパソコンを習って資料をプリントすれば、娘の負担を減らせるでしょう」と言いました。その話を聞いて、自分にできるものかと思いましたが、すぐそれは人の考えであり、私は大法弟子であり、師父がおられ法もあるので、できないことはないと考え直しました。また自分がこの言葉を聞いたのは偶然なことではないと思い、師父が按排されたことならば必ずできると確信しました。
決心しましたが、パソコンを学ぶのは簡単ではありませんでした。マウスをコントロールするにも長い時間がかかりました。マウスが使えないとフォルダが開けないのです。やっとフォルダを開いたのに文章を探せません! 自分が年を取ったせいで記憶力も落ち、知識もなく、娘は教えることに時間をあまりかけすぎると焦り、逆に私も焦ってしまい、「あんたみたいに教える人がいるのか」と怒りました。技術を学ぶ過程は心を修める過程でした。
娘のよくない態度を感じた時に何度もやめようと思いましたが、いくら難しくても修煉より難しいだろうかと考え、いくら難しくても師父より大変だろうかと考えました。私は努力して自分ができないと思う心、人に言われたくない心を修めて短い時間に1枚をプリントすることができ、しばらくして小冊子をプリントすることができました。自分でプリントした資料を見て本当に嬉しかったのです。本当に有難くて、師父がおられなければ私のように60歳の、知識もないおばあさんが、パソコンができることはありえなかったのです。本当に夢にも思わなかったことでした。
利己的な心を修める
小さい頃から生活が苦しかったため、私は異常なまで節約する習慣が身につきました。金を使うことを惜しみ、お金を特に重く見ました。修煉してから私は利益に執着する心を徐々に放下して同時に師父も私の良くない物質を取ってくださいました。近所に、親戚のいないおばあさんがいました。そのおばあさんを気の毒に思い、私は常に面倒を見るので、そのおばあさんも大法が良いことを分かっていました。真相を分からない人が大法の悪口を言うと、そのおばあさんが説明してくれたりしました。以前の私は、節約しすぎて中国元の1元も半分に分けて使うほどで利己心が強く、人にたくさんの金をあげることはできませんでした。しかし大法が私を変え大法が私に仁愛・慈悲の心を持つように変えてくれました。
私はあまり勉強をしておらず、人心も多く、文章も書けませんが、娘からアドバイスをもらって自分が比較的によくできた二つのことを文章で整理しました。どうぞ同修は慈悲で指摘してください。
合掌
2009年10月23日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/10/6/209721.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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