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お金の使い方について


文/中国の大法弟子

(明慧日本)明慧ネットに2009年10月12日に掲載された、「お金の使い方に注意する」という同修の文章を読み、私もお金の使い方について交流したいと思います。

 数日前、私は一人の年配の同修と会ったとき、同修は、節約して貯めた数万元を全部子供たちにあげ、子供たちが家を買ったり、車を買ったりすることに使ってしまったと言いました。同修のやり方は表面的にみると、お金に対して執着していないようですが、実際に深く考えてみると執着心を持っていると思います。子供たちに対して「情」を放下しておらず、厳しく言えば、大法を一番に位置づけていないでしょう。師父は、『オーストラリアの学習者に対する説法』DVDの中で、「大法の資源は限られている」とおっしゃいました。

 多くの大法弟子は、お金に余裕があるとき、とりあえず衆生を救い済度する項目に使おうと考えます。衆生を救い済度するためのさまざまな項目に資金が必要なので、もし、衆生を救い済度することを最優先にすれば、お金の使い道を思いつくでしょう。大法弟子として、最大限に普通の人の生活状態に符合すればよいと思いますが、子供は自分なりの生活があり、あまり心配しすぎると、「情」に執着してしまいます。「情」に執着すると、その「情」は、修煉の道の大きな障害物になると思います。

 同修の執着心を見つけたとき、私は自分の内に向かって探しました。実は、私も自分の子供に良い生活を送らせたい気持ちを持っています。娘は現在、小学生ですが、私は娘の成績にとても執着しています。私はいつも娘に「よい点数を取れないと将来どうするの、仕事さえ見つからないわよ」などといわゆる「教育」をしていました。また、私は、大法の真相資料を作るためのパソコン関連の物を買うとき、自分のお金を使うことに対して多少の迷いがありました。考えてみるとそれらの行為は、大法弟子として、衆生を救い済度することが一番重要であると認識していません。同様に、大法のことも最優先に考えていませんでした。

 現在の心性による個人の認識で、適切でなければ同修の慈悲な指摘をお願いします。

 2009年10月24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/10/15/210395.html

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