■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/10/24/mh254187.html 



常人の事に執着する時間と空白を残さない

(明慧日本)私は不法に拘禁されて出た後、幾度もの困難を乗り越え、より遠く離れた都市に引越ししました。以来、真相資料作りの仕事に携わっており、すでに一年間が過ぎ、とても充実して過ごしてきました。何軒かの小資料点を立ち上げ、毎日忙しい中で過ごし、ほぼ毎日は五時間の法の勉強と暗記、さらに二時間の煉功、二時間のパソコンの勉強と真相メールの送信、八時間ぐらい真相資料作り、五時間の睡眠しか取りませんでした。

 初めは、一人だけでいると、孤独と寂しさや苦しさ、疲れをとても感じていたので、私は内に向けて探し、それは法の勉強が少なくなったせいで、法の中に溶け込むことができなかったからだと分かりました。孤独や寂しいというのは、やはり人の執着だと悟りました。なぜ、孤独や寂しさを味わう時間と体力があったのでしょう。私は精進していなかったことや自身に厳しく要求していなかったからです。神の立場に立って問題を見ず、人を済度することを生きがいとしていなかったからです。常人の安逸を求める心がまだ少し残っていました。半年前、私はネット上のある掲示板が気に入り、寂しくなったり疲れたり、不当な待遇を受けたりしたら、掲示板にいる同修に訴えたりしました。私と同様な同修がいて、私の話をよく聞いて慰めてくれれば、満足してしまいます。今思えば、これはすべて擬製のネットの空間で、影も形もない情の世界でした。執着と情を取り除く時間を多く無駄にしてしまいました。虚栄心を満足させたいのは、心が空虚な証拠です。どうして、私は修煉しながら常人のままでいたいのでしょう?

 ある時期、私は夢の中で、私は常人としてとても楽しく過ごしていて、私のパソコンが突然溶けてしまい、突然そのわけを悟りました。私はその掲示板に執着しすぎ、言い換えれば、情に執着しすぎました。家にも絶えず大きな蜘蛛が幾匹出現し、怖くて悔しくて仕方ありませんでした。私は蜘蛛が一番苦手で、この陰性のものがなぜよく私の前に現れてくるでしょう? 師父が許さなければ、出てこられないはずです。蜘蛛と執着との中国語の発音は同音で、私の執着はこの蜘蛛のように醜く、汚いものだったと悟りました。

 2007年末から正月にかけて、私のパソコンとプリンタはよく故障し、師父も幾度となく私に執着があることを注意してくださいましたが、悟ろうとせず、悟っても自制できず、掲示板に入ってしまいました。師父は時に同修を通したり、夢の中で何度も、バイクに乗ったら滑り落ちたり、トイレが詰まったり、水道の蛇口が閉まれなくなったり、プリンタから墨が漏れたりするなどを通して、執着が漏れていると注意してくださいました。執着が無くなるまで修煉していなかったからです。

 今になってようやく、掲示板に入りたいことを執着として取り除くことができました。何日間も入らなくても平気でいられます。入ること自体がつまらなく感じ、時間を無駄にするだけだと思いました。法を勉強したくて仕方がなくなり、法を暗記するようになり、夢の中でさえ法を暗記していました。今はネット上のニュースは目を通したくなくなり、時間を無駄にするだけではなく、常人のものはつまらなく感じてきました。頭の中に常人の物を入れたら常人になってしまい、人間の事はすべて神様が順序よく按配されていたことで、今日の正法はすべて師父が按配されて、私は執着することがあるでしょうか。どうして人為的に執着を作ってしまうのでしょうか。時間もむだにしてしまいます。私達は大法弟子ですので、頭の中に大法しかないのであれば、大法弟子と呼ばれる資格があるでしょう。よく修めていれば、正念が強くなり、多くの人を済度することができます。作り出した真相資料の威力が強くなれば、三つのことがよりよくできると思います。

 私は今、ほぼ一時間毎に念力を集中して発正念していて、正念が強くなったと感じてきました。今になって、迫害されるのを恐れるのも人心で、迫害されていたのはすべて正念が不足していたからだと気付きました。自己の空間場をキレイにすれば、正念の威力も強くなり、その上、人としての安全を確保すれば、修煉の道は歩ければ歩くほど広くなる一方で、平穏に続いていきます。執着を取り除いてから、プリンタのトラブルも減り、故障したノートパソコンも正常に戻りました。

 初めのとき、私は『転法輪』を読むことに集中できず、暗記する方法をとったら、乗り越えました。毎日『転法輪』の数ページを暗記し、一講を読み、あるいは毎日『洪吟』を一回暗唱し、各地での説法を二十ページ読みました。そうしたら、私の修煉の向上は目が見張るほど進歩してきました。ときには、『転法輪』を読んでも悟れない部分は、各地での説法を読んだら分かってきて、各地での説法はそれを解釈しているからだと思います。私達は師父の言われた通りに行なうだけで、よく出来ていなければ師父に申し訳なく、師父に合わせる顔がありません。

 私は、常人のことを考えることや執着を強くする時間と空白を残さずなくし、『転法輪』をしっかり覚え、一念でも法に照らして行い、それでこそ実際に修煉していることになると思います。今は1999年以前の状態に戻ったようで、修煉の道を突き進み、法に溶け込み、自分の心は非常に純潔で純真になったと感じており、とても良くてとても玄妙な体験を久々にしました。

 次元が限られており、よく書けませんでした。同修の慈悲なる指導をお願いします。

 2009年10月24日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/10/18/210596.html

明慧ネット:jp.minghui.org