人を助けることは 自身を助けること
(明慧日本)私の母は今年60歳で、ごく普通の農村の主婦です。小さいころから、学校へあまり通ったことがなく、そのうえ、長年、本を読んでいなかったので、ほとんどの字が読めませんでした。今年の初めから、母も法輪功の修煉を始めました。母が向上できるように、私は毎日、母と一緒に『転法輪』を読んでいます。一講を読み終えるのに、3時間もかかってしまいます。私はいくら忙しくても、我慢強く母と法を勉強し続け、母は読むのが遅いだけでなく、間違って読むこともよくあり、絶えず注意してあげなければなりませんでした。
実は、私は法を早く読むことに賛成しません。同修たちが早く読むのを見かけると、いつも「法はゆっくり読むべきで、リラックスして、一字一行をはっきりと読み、早すぎてはいけません」と注意していました。そこで、私の読む速度は勉強会の同修に対して一つの試練となりましたが、今回、母と勉強することで、私の忍耐力が毎日着実に試練を受けることになり、時に不満がでてきます。あるとき心の中で思いましまた。「仕方がない、母さんだからこそこうしているの。毎日多くの事が待っているというのに、新しい修煉者に時間を潰すなんて…」毎日我慢しながら続けてきました。
このようにしてしばらく経ったある日、母といつも通りに勉強を始め、ふっと気付いたのは、私は焦ることがなくなり、心も落ち着き、しかも、気持もとても穏やかであると感じました。以前の焦りや煩わしい感覚もなくなり、まるで人が変わったかのようで、自分が向上したことがはっきりと分かりました。母の方をみると、相変わらずゆっくりと読んでいます。私は「母を助けるどころか、自分自身を助けたのではないか!」と少し悟りました。今の母は『転法輪』を流暢に読めるようになり、当然、分からない字もありません。
ある同修が刑務所から脱出し、迫害を避けるたに、私の家に1カ月間、滞在しました。その時期、母は毎日の早朝3時の煉功にまだ参加していませんでした。しかし、私達2人が毎日しているのを見て、母も3時の煉功を始め、現在に至るまで、何カ月も過ぎ、しない日はありません。
同修は滞在期間中、母に自分の体験をたくさん話してくれました。病魔の関門をいかに乗り越えたかの経験も聞くことができ、母のこれからの修煉の励みとなりました。その同修が去った後、母は「彼が来た時、最初に私が何を考えていたのか知っている?」と私に聞いたので、「分からない」と答えました。「彼が来た時、元々体が弱い私はあなたの食事の用意をするだけでなく、彼の分まですれば、体が耐えられないのではないかと心配し、でも、敢えて言い出すことはできなかったのだよ」と続けて言いました。母が元気そうに話している様子を見て、「どうだった? 1カ月の世話をした後、体が弱ったの、それともより健康になったの?」と問いかけてみると、母は笑いながら「より健康になったよ!」と言いました。「そうでしょう! 人を助けることは、自身を助けることになる。間違いなく本当ですね」と私が言うと、母は微笑みを浮かべていました。
時には私は、勉強会で同修を選んだりします。自分が気に入った同修を選び、ゆっくりと読む同修には入ってほしくないのです。また、ある同修は勉強会を選ぶこともあり、よくない勉強会だと思うと行きたくないのです。ある勉強会は新しい修煉者を受け入れず、新しい修煉者は信頼ができず、危険なことなどが起こりやすいと思ったりしています。よく考えてみると、修煉者として、自我を放棄でき、真に他人のために考えることができれば、すでに法に従っていることであり、危険などありえるでしょうか?(無理にするのも執着) よく内に向けて探すことがなく、疑心や恐怖心や私心を強くしてしまえば、それこそ、安全を脅かす源だと思います。新しい修煉者は古い修煉者と共に無私無我の境地で勉強する機会があれば、速やかに向上することでしょう。すぐに真相を伝えに行くことや資料を配ること、衆生を済度することもできるかもしれません。
不適切な所があれば、同修の慈悲なるご指導をお願いします。
2009年10月27日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/10/24/210984.html)
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