■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/10/28/mh291878.html 



「七情六欲」とは

文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)私は法を学んですでに10年になりますが、「七情六欲」とは何なのかはっきりと分かりませんでした。今日のグループ学法の中で私は同修と切磋琢磨するときに、七情とは「喜、怒、愉、思、悲、恐、驚」で、六欲は「食、色、財、丁、権、貴」だと教えてもらいました。

  辞典の説明は下記のとおりです。

  七情

 喜—喜び怒—怒り 
 憂—心配事 思—あれこれの考え
 悲—悲しみ 恐—恐れ
 驚—驚き

  六欲

 食—食べる 色—性欲の情緒
 財—お金と物の総称 丁—職業
 権—権力貴—地位の高いこと

  ここから見ても「七情六欲」は修煉者の頭の中にある取り除きがたい癌で、見分けることは難しく、甚だしきに至っては理解することができなくなるときもあるのです。それにより自らを緩めてしまい、精進しなくなり、三つのことをしっかり行うことができなくなるのです。時間が長くなると旧勢力に引っ張られてしまいます。

  数日前、私は同僚の家に行ったとき、庭に大きな柿の木がありました。深い緑の大きい葉とオレンジ色の茶碗くらいの大きさの柿が枝から垂れて、本当に美しかったのです。私は目の前の光景に驚くほど感動して、柿の木の下に立ったままそれを見つめながら感心しました。しかし驚くことに、正に七情の7番目の情なのです。私は家に帰る道中、もし自分も以前の家(一軒屋)を売らなかったなら、あのように柿の木を育てて、小さい庭を美しく飾るのにと思いました。落ち着いて考えて見ると、これは正に欲望ではないでしょうか。

  この事を通じて私は情があるかぎり欲望が生じ、欲望があるかぎり私心が出ることに気づきました。私心があることは宇宙の特性に背くことです。師父は次のように言われました。「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません。すべてのことには因果関係があります。人間はどうして人間でありうるのでしょうか? それは人間には情があり、人間は情のために生きているからです。肉親同士の情、男女の情、親の情、感情、友情など、何をするにしても情が重んじられ、情を切り離しては何ごともできません。やる気があるかどうか、気分が良いかどうか、愛しているのかそれとも憎んでいるのか、とにかく人間社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」(『転法輪』)

  私達は大法の指導の下で早く七情六欲を放下し、勇猛邁進して、世の人々を救い済度しましょう。

 (編集者注:「七情六欲」は人の心が執着するときの各種の情緒と欲望です。師父は私達に法理を教えてくださいましたので、私達は言葉に細かくこだわる必要はないと思います)

  2009年10月28日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/10/25/211079.html

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