グループ学法でますます向上 文/中国の大法弟子・明正
(明慧日本)私は1997年に法輪大法を知りました。当時、修煉者の同僚から『転法輪』を貰いました。一通り読んで、これはよい人になり、よいことをすることを教える書籍だと思いました。特に真・善・忍のところがとても印象深かったのです。しかし私は続けて大法を勉強しませんでした。それからの仕事や生活の中で、気晴らしにたまにその本を読んだりしましたが、真に修煉者としての自覚を持っていませんでした。
2006年から同修の勧めで、私は妻と一緒に学法、煉功を始めましたが、学法は途切れ途切れで、煉功の時間も長かったり短かったりしました。自分は修煉者だとは思いますが、学生が先生に言われたことをするように、仕方ない気持ちでだらだらしていました。『転法輪』だけを読み、他の資料は一切読まなかったのです。
こうした中、2008年に仕事が忙しくなくなり、同修に誘われてグループ学法に参加しました。初回の時、その学法の場に惹かれました。和やかで気持ちもよかったのです。当時師父の新経文『棒喝』を勉強してとても心を打たれました。師父は『「私は『転法輪』だけを読みます。新しい経文を読みません」と言っている人がいますが、あなたはまだ私の弟子なのでしょうか?』と仰っておられ、まるで私のことを指摘しておられるようだと実感しました。また、「皆さんに教えますが、ただこの一念の差ですが、人と神の違いはこの一念にあるのです。放下できれば修煉者で、放下できなければただの人です」(『ヒューストン法会での説法』)に照らしてみると、以前のだらだらした私の状態は真に修めておらず、片手で人のことを握り、もう一つの手は神のことを離さないと言う状態で、学法の目的も純粋ではないと分かりました。同修たちの切磋琢磨、交流を聞いて自分は遥かに遅れていると焦り、精進しようと決心しました。
グループ学法に参加したこの1年を振り返ってみて、本当によかったと思います。師父のすべての経文を4回も読み、『転法輪』の暗記も続けています。同時に法理に対する理解も深く多くなりました。以前『転法輪』を十数回も読みましたが、表面だけに留まり深く残らなかったのです。いまは、1回読んで、一段落を覚える度に、その中に多くの内包を発見することができ、いつまで勉強しても飽きません。以前大法を勉強しながらも薬を飲んでいました。私は医者であり、糖尿病なので薬を飲まなければ医学の理屈に合わないと思い込んでいました。1年来、高血圧症の妻とともに薬を飲んでいませんが、元気いっぱいです。たまに、病業が現れても正しく対処することが出来、落ち着いて早く難関を乗り越えることができました。
以前ひまな時に、マージャンや将棋の観戦をしたりしていましたが、つまりませんでした。いまは、大法弟子としての三つのことをして、学法、煉功、発正念、真相資料を作り、配布して、人を救い済度することに没頭しています。毎日充実していて、食事と寝る以外に果物を食べる暇もなくなりました。以前、時間をあまり無駄にしたため、自分が救った人は少ないのです。まだまだ救わなければならない人がたくさんいるため、自分が2人ほしいくらいです。
我々は力を尽くしてしますが、師父の要求にはまだまだ達していません。しかし、私たちは三つのことをしっかりして、決して師父の慈悲な済度を裏切りません。
次元が限られており、間違ったところがあればご指摘ください。
2009年10月29日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/10/18/210616.html)
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