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夢に執着して得た教訓

(明慧日本)去年のある朝、夫が私に昨晩見た夢を話してくれました。夫は夢がはっきりとしていたので、現実のように思えたそうです。彼は夢の中で私を必死に探していて、ようやく私を見つけることができましたが、その時、私が部屋の中で座禅しており、入り口の両側は二匹のトラに見守られ、怖くて近づくことができなかったという話でした。

 それを聞いて私は、嬉しいという気持ちでいっぱいでした。他の空間で本当に存在していると思い込み、夫はきっと私の護法の神を見たに違いないと考え、トラがとても強くて夫がこれから私を干渉できないはず、邪悪も近づくこともできるわけがないと思っていました。今思えば、当時の私は一時もトラのことを忘れたことがなく、我を忘れたぐらいで、全く修煉者の姿ではありませんでした。結局、ある日真相を伝えに行く途中で強制連行されました。師父のご加護の下で同修と家族はすぐに私を救い出しましたが、私の周囲に悪い影響を与えてしまいました。私を救うことで多くの同修の時間を費やし、家庭と親族に精神的な打撃を与え、近所や知り合いは恐怖で私から遠く離れていき、真相の説明や衆生済度に障害を作ってしまいました。そこで、私も恐怖心などで精進の道が緩んでしまいました。

 その後、私は法に照らして内に向けて探し、多くの執着心を見つけました。例えば闘争心、嫉妬心、自尊心、世間体に執着し、虚栄心、色欲(共産党が唱えた個性により形成した思想業)、要するに多くの名・利・情がまとわりついていることが分かりました。私は今になって、夫の夢に執着していたことを思い出しながら、考えていました。

 『明慧週刊』を読むと、多くの同修は夢についての心得を載せており、夢のおかげで、ある悪縁が遠くなり、関門が乗り越えられたとか、また災禍が通り過ぎ、あるいは病気の関門を乗り越えられ、迫害されそうなとき、回避ができたとかです。正しく悟れば、夢は確かに良い作用が働きますが、しかし、夢は夢にほかならないので、修煉ではありません。本当か嘘か、実在か幻か、正面か裏か、本心かそれとも逆か、すべては自身が悟らなけばなりません。同じ夢でも修煉者によって悟った結果が違ってきて、どれが正しいのか悟らなければなりません。夢に執着するのは更にいけません。夢は法ではなく、夢を行いの基準にしてはいけません。すべての考えを法に照らすべきです。

 師父は『転法輪』の中で「自分自身を制御できない修煉者は、済度し難いうえ、自分自身をいとも簡単に駄目にしてしまいます」とおっしゃっていました。同修達と共に励み、師父の正法の終わる段階において、私達は自分をよく制御し、法をよく勉強し、一つ一つの考えを法に照らし、自分をよく修煉したうえで、誓いを果たし、円満成就して師父と共に帰りましょう!

 2009年10月30日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/10/29/211286.html

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