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学法するときの姿勢について

(明慧日本)一人の若者として、私は現代人の悪い癖がたくさんついてしまいました。たとえば、だらだらして、享楽にふけることなどです。そのため、修煉を始めた時に学法するときの姿勢にあまり気をつけず、いつもなにかにもたれて本を読んでいました。その後、古代の人は仏経を読む前に必ず沐浴し服を着替えると知り、初めて、学法する時の姿勢も師父と大法への敬意の表れだと認識できました。その後細かいこと気をつけるようになりました。たとえば、本を綺麗な所に置くこと、学法する前に手を洗うこと、座って本を読むこと等です。

 最近一部の同修から学法をする時はいつも結跏趺坐だと聞きました。もちろんそれは素晴らしいことですが、絶対のことではないと思います。私の場合は足を組んで少し時間が経つとすぐ痛くなり、学法にも集中できなくなります。しかも、師父も人の心だけを見ると仰っていますので、(原文ではない)私には師父と大法を尊敬する心があれば大丈夫だと思っていました。

 しかし、最近『転法輪』の第七講を読むと、師父は「中国古代の科学は、西洋から学んだ現代科学とは違い、まったく別の道を歩んだので、異なる状態をもたらすことができました。ですから現在の認識方法で中国古代の科学技術を認識してはなりません。中国古代の科学は、直接人体、生命、宇宙を相手に研究していたので、別の道を歩んだのです。その当時学校へ行く人は、みな座禅を重んじ、坐る姿勢にも厳しかったのです。筆を持てば、気を運び、呼吸を整えることを重んじていました。どのような仕事をしても心を浄め、息を調整することを重視し、社会全体がこのような状態にあったのです」と仰いました。

 私は突然悟りました、古代の人はどうして座禅をして、座る姿勢にもこだわったのか。それは神への尊敬という以外に、この姿勢は大自然の規律、宇宙の運動と関係しているのではないかと思いました。古代の人はこうすれば、より容易に人体、生命、宇宙の関係が分かると気づいたのだと思います。

 私が思うには、もし私たちが学法をする時にも静功の時のように筋を伸ばして結跏趺坐をすれば、宇宙の特性ともっと近づき、私たちが大法を理解することの助けになると思います。

 もちろん、修煉者として、心性の向上をいつも第一に置き、単純な形式上のことは何も役に立ちません。しかし、心性が向上するにつれて、悟性も向上してくれば、形式も偶然なものではなく、大法の要素が入っていることに気づきます。宇宙は本当に玄妙で、常人に理解できないことが多いのです。単なる形式上のことは何の意味もありませんが、レベルを向上させた上で悟ったものなら、法理の一部になると思います。

 個人の考えで、同修と交流したいと思います。

 2009年10月30日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/10/30/211322.html

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