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二言三言:いい加減にしてはならない


文/中国の大法弟子

(明慧日本)大法弟子はいかなることを行っても、いい加減にしてはならないと、師父は何度も説法されています。以前、この説法について深く理解していませんでしたが、今日ある同修が私に、他の同修との間で面倒なことがあると愚痴をこぼしました。私は突然、師父の『各地での説法四・2004年シカゴ法会での説法』の中で、「決していい加減に行ってはならず、真剣に良く行ってからはじめて、多くの人を救うことができるのです」について、よりはっきりした認識がありました。

  修煉者として、日常生活の中で遭ったすべてのこと、思い通りになることやならないこと、すべてに修煉の要素が入っていて、偶然のことではないかもしれません。人間は輪廻を繰り返している中、思想の深いところにどれだけの観念が溜められているか分かりません。修煉というのは、これらの思想の深いところに溜められていた一切の人間の観念を全部取り除いて、初めてここから離れ、返本帰真ができます。しかし、人間は自分が認識できるものだけを変えることができますが、自分でさえ認識できない観念はどうやって取り除くのでしょうか? そこで、修煉の過程で師父が私達にさまざまな人と出来事に遭遇させるように按排され、私達の深く隠れている人心とぶつからせ、それらを暴露させるのです。

  トラブルが起きたときは辛く思いますが、このとき必ずはっきりと分からなければなりません。辛く感じるのは人心で、この人心を取り除けば辛い思いがなくなります。これは、師父が私達の法門は「人心を真っ直ぐに指す」と説法された通りです。このような修煉は最も速く、最も堅実です。大法弟子としてどんなことに遭遇してもすべて良いことです。そのことが良いことであれ、悪いことであれ、私達に遭遇させたからには全部良いことです。ですから、日常生活の中で出遭ったすべての出来事に対して、いい加減にしてはなりません。すべての出来事に対して真面目に対処できて、初めて真面目に修煉していると言えます。

  2009年10月31日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/10/30/211316p.html

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