遼寧省東港市:趙桂琴さんは連行され、危篤状態
(明慧日本)遼寧省東港市長山鎮に在住の趙桂琴さんはどこにでもいる農家の婦人である。2008年9月25日、趙さんは家事をしていたところ、突然、港市長公安局国家保安局大隊の王潤龍が指示した姜昆などに強制連行され、東港留置所に不法に拘禁された。2008年12月12日、趙さんは密かに家族が何も知らない状況下で3年6か月の刑罰を言い渡された。趙さんは現在ひどく迫害され、足がすでに歩くことができなくなった。しかし、東港政法委(610弁公室)と公安局国家保安局部門は、それでも趙さんを釈放しようとしない。
2008年10月27日、趙さんの母親は留置所からの電話で、趙さんがすでに迫害され、下半身不随になったことを初めて知った。電話で、家族は早く趙さんを家に連れ帰るようにと言われた。家族はただちに東港留置所に行き、電話で聞いたことが事実だと知った。
2009年2月24日、家族は弁護士に趙桂琴さんの体の状態を見せた。
「とてもひどい。これ以上続けて拘禁されると危険だ。ただちに保釈の手続きをしよう」と弁護士が言い、趙さん本人と家族が書いた「保釈申請書」を速達で丹東中級裁判所長に届けるよう家族に伝えた。それから、家族は何度も丹東中級裁判所に行き、この案件の担当者に趙さんの実際の体の状況を話し、同時に東港公安局と東港留置所に行き、幹部の人を探して趙さんの保釈と家での治療を訴えたが、拒否された。
4月26日、東港公安局は歩くこともできない趙さんを、強制的に遼寧省瀋陽女子刑務所に運んだ。趙さんが背負われながら、車に運ばれるのを見た人もいた。趙さんの病状がとてもひどいので、瀋陽女子刑務所は受け入れを拒否した。しかし、東港公安局は趙さんを家に戻さずに留置所に拘禁し続け、「数日経ったらまた(刑務所に)入れなければならない」と言う警官もいた。
5月15日、東港公安局は再び趙さんを遼寧省瀋陽女子刑務所に入れようとしたが、体の検査が不合格で前回と同じく受け入れなかった。それでも東港公安局は趙さんを釈放しようとせず、続けて留置所の独房に拘禁した。
80歳になる趙さんの母親は、娘が二度にわたり刑務所に受け入れ拒否されたことを聞いて、ショックで数カ月前から入院している。5月21日、娘の病状がとても危険であると分かり、病院のベッドから起き上がり、杖で支えながら親戚が付き添って、公安局の国家保安局部門の大隊長・王潤龍を探して釈放を要求した。王潤龍は「3年半の刑罰と言ったはずだが、7年にすべきだった」、「この件はすでに上に任せた、私はもう関係ない」と言った。仕方なく、母親は公安局局長・王尚慶の所に行ったが、王尚慶は「哈合財局長が担当している」と言った。
5月27日午前、趙さんの息子は公安局に行き哈合財局長を探した。哈合財は「私はもう担当してない、張局長が担当している」と言った。そして、張西臣のところに行くと、張西臣は「検察院と裁判所に従わなければならない」と言って、また「あなたのお母さんの病気は大したことではない、血圧は通常の人より少し高いだけだ、薬を飲めば治る。しかし、あなたのお母さんは薬を飲もうとせず、お金で買った薬はすべて無駄になった」と言い訳をした。
趙さんは、東港公安局に強制連行されてからすでに8ヵ月余り経った。瀋陽女子刑務所で重い病状のため二度にわたる検査は不合格で、刑務所も受け入れできないほど身体が弱っていた。東港公安局の幹部らはどうすることもできないため、趙さんの家族に嘘をついて騙した。
最近、ある公安局の警官と話した際、「趙さんの病状はとても深刻だ。もう一人の法輪功修煉者も実刑を言い渡されましたが、病状もかなりひどい。普通であれば彼女らを釈放すべきだが、釈放したら、法輪功の勝利を証明していることになると思うのだろう」と話した。この証言から、趙さんの病状がとてもひどく、生命の危機が目前に迫っていることが分かる。
趙さんと宋積威さんは、東港公検法に3年半の実刑を言い渡されて以来、正義のある弁護士の助けのもと、二人の法輪功修煉者とその家族が訴えを出すことに賛成し、多くの申請状を書いた。同時に、家族は東港裁判所の第一審の結果と、丹東中級裁判所の第二審の結果の裁決書、および弁護士の無罪弁護の書類、東港公検法が二人に迫害を行った違法行為の実例の書類を一緒に各関係部門や地元の人々に送った。たった20日間で、家族の訴えを支持し、無罪で釈放すると要求する人が数十人から数百人になり、現在は千人近くになった。数はまだ増え続けている。善良な人々が目覚め始めている。
2009年10月31日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/6/202312.html)
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