■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/11/04/mh052128.html 



湖南省:張春秋さんは8年にわたり拷問を受ける

(明慧日本)湖南省益陽市に住む法輪功修煉者・張春秋さん(46)は、8年にわたる残虐な拷問などの迫害を受けてきた。

 張春秋さんと定年退職教授・高徳思さんは2001年4月19日、湖南財専学校構内で悪辣な警官に連行され、それぞれ、益陽市第一拘留場と益陽市第二拘留場へ移送された。拘禁の初日、王鉄軍警官は張さんをゆび指して、「こいつが頑固な法輪功メンバーだ、勝手に虐待して死なせてもいい」と言った。そこで、通常の迫害形式により、まず、跪いた張さんの両手を壁に押し当てさせ、そして背中から強力な膝攻撃で襲いかかってきた。この攻撃を1回、2回、3回と続けていくうち、張さんは吐血して血が壁に飛び散り、悲鳴や大声をあげざるをえなかった。

 不法拘禁の8ヶ月後、張さんは裁判を受けた。中国共産党(中共)は、暴力をもって裁判を強制し、裁判所から開廷時間を知らせることなく、被告人の家族と友人の傍聴を禁じられ、弁護士による弁護も許されない。裁判の時、法廷内には司法機関の関係者ばかりである。張さんと高さんはこのような裁判によって、それぞれ8年と7年の懲役刑を不法に下された。

 2002年10月1日、張さんは湖南省第一拘留施設に移送された。所長は施設の何大隊長に「この頑固な法輪功メンバーを片付けろ!」と命じた。2002年10月2日午後2時に、「煉功」を申し出ていた張さんは突然、何大隊長に殴りかかられた。そして、何大隊長は数人のスタンガンを持つ警官を呼び出し、張さんに電撃を加えさせた。全身電撃によってびりびりと鳴る音とちかちかと光る藍色の炎が虐待のひどさを物語った。こうして、電撃の拷問で額、胸、生殖器、両腕、両足など全身にわたった火傷と焼け焦げた臭いのする張さんは重体になり、失神した。そして張さんは、四肢に知覚がなくなるほど体に障害が残った。その時、監獄長に会わせるため、歩けない張さんは手足を持ち上げられて、4人で運ばれて行った。

 転々と拘禁施設を変える迫害手口により、張さんは長沙監獄の麓峰監区から二監区、湖南津市監獄二監区一中隊へと場所を移された。この間、実際に彼が目にしたことと、自身に起きた数々の暴行、恐怖、残虐の拷問事例など、迫害は千件にも上ったという。2003年5月17日、周政文という労働改造大隊長による圧力に、中隊長から朝4時から11時にかける強制労働の命令を下した。張さんはこれに従わなかったため、周の指示を受けた中隊では、手を逆さにして縛られ、吊り上げられて、首から針金で150キロの重たい木の板をかけられた。木の板に「警官に逆らい、改造に反抗した」と書かれている。それは、中共の監獄が一貫して使ってきた残虐な手口、「生きるより死を望ませる」という拷問である。

 重たい木の板は首にずっとかけると、苦痛を伴って皮下細胞が損傷・破壊されていく。最後に、痛みが中枢神経に達し、一気に心臓に集まり、連発の矢に刺されるほどの苦痛を極める。それどころか、時間の経過につれて激痛がいっそうひどくなる。この時、拷問された人の頭にはすぐにも死にたい念だけが浮かぶという。それは、中共の監獄で実施されている最も残虐な手口、「生きるより死を望ませる」という拷問の全貌である。

 その拷問を、張さんは13時間も受け続けた。中共の公安系統の中でも、この拷問がよく使われてきた。そこで、高い椅子に登らせて手錠で両手を吊り上げたまま、体を支える椅子をはずす。しばらくして、「生きるより死を望む」という苦痛が現れる。この拷問は、津市監獄で2007年までずっと使われてきた。中共が公安施設と監獄で行う、人の心身を破壊する拷問の一つとして決められている。実際は、「生きるより死を望ませる」拷問のうえに、冬の厳寒に外の鉄製柱に縛り付けたままに凍らせて障害を持たせる拷問と、夏の厳暑に晒された高温の鉄製柱を抱かせて焼かれる拷問が実施されている。

 2008年3月19日夜、二監区改造大隊長・張明の指示で、曽旺警官は張さんに殴る蹴るの暴行を加えはじめ、頭部を直撃してひどく殴り、10分も経たないうちに口と鼻が血まみれになり、さらに暴行を続けて血と肉が混ざるほどぼろぼろにした。3度目に暴行が加えられると、殴り殺されるかもしれないと思い、「誰があなたに人を殴る権力を与えたのか」と厳正に訴えた張さんに、曽は震いあがって全身が固まっていた。これで、やっと殴り殺すことを企んだ暴行がやめられた。このひどい暴行で、張さんは頭部にかなりの損傷を負って血の塊が残り、全身に腫れた真っ青の傷があり、4日間にわたって横たわり、ふらふらとする状態が続いた。しかしその後、張さんは以前のように体が治り順調に回復した(法輪功を修煉しているおかげで奇跡的に助かった)。

 張さんは監獄で拷問などの迫害をたくさん受けてきた。その迫害の数例を挙げると、精神的虐待、毎晩法輪功の検問と装って寝かせないように受刑者、大隊幹部、獄政科および教育科の関係者による嫌がらせ、人格を侮辱、思想を洗脳、病理的人体実験を加えるなど、様々な罪を犯した。2007年3月26日、体が丈夫な張さんを肺結核病毒の治療部屋に押し入れ、14名の結核病患者と同室させて結核病実験を行った。2007年5月1日に事件が発覚し、張さんは人体実験から救われた。

 張さんの刑期は、益陽裁判所と検察院が許可した裁定書によると、本来2000年3月1日から2008年2月28日までだが、益陽市「610弁公室」は印刷のミスを理由として、裁定書の刑期を2008年2月28日から2009年4月19日までに任意に改ざんした。

 2009年11月4日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/10/30/211423.html

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