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考えが正しければ「業」が消える

 (明慧日本) 私は昨日、明慧ネット上のある修煉体験「病気の関門(長期にわたる不正出血)を乗り越える」という文章を読み、とても啓発されました。

 その文章の同修は病気の背後にある邪悪の要素を取り除くため、師父が『2004年ニューヨーク国際法会での説法』の中でおっしゃった次の言葉を用いて正念を発しました。「宇宙で法が正される中で、私が法を正すことを妨害しないものに対して、適切な処置を取り、未来の生命になるようにします。善解されたければ、私から離れて、私の周辺で待ってください。もし本当に私から離れる力がなければ、私を妨害するための如何なる作用もしないでください。将来私が圓満成就することができれば、皆さんのことを善解します。それらの全く良くないもの、まだ私を妨害しているものは、基準に従い、残ることができなければ、根絶されるしかありま せん。私があなたを消滅しなくても、宇宙の法もあなたを残しません」

 私は突然悟りました。これこそ大法弟子にあるべき広大な慈悲です。またこれは、大法を修煉しているからこそやり遂げることができるのです。以前は業を消すことにせよ邪悪を取り除くことにせよ、ひたすらに容赦なくやるべきだと考え、徐々に慈悲というものを忘れていってしまいました。再び、師父の説法の一部分を拝見し、自身と法の要求との間に開きがあることをやっと感じ取りました。

  明け方、夢うつつで、激痛が走って、私は朦朧とする中で一念を発しました。「これは旧勢力の妨害だ、全般的に否定します」その後でまた、「この痛みはおそらく慢性的な虫垂炎からきたものかもしれない、常人なら病院で手術すれば1週間で退院できる」と思った途端、痛みが激しくなり、夢から覚めました。「修煉者として、常人のような考えを持ってはならない! たとえ病院で1週間で治るとしても、多くの人を済度することに支障が出てくる。師父は弟子に法を実証することに支障が出るような病気の関門を絶対に按排なさらない」と私は思わずこのように悟りました。

 法において悟りましたが、痛み出すと、やはり多少落ち着かないこともあります。私は突然、同修の交流文章を思い出しました。私はすぐ師父の説法の一部分の法を暗唱し、瞬間に一つの法理を悟りました。「私の病の業力は自分が償う以外に、師父がほとんど苦しみに耐えてくださいました。もし、今自分が余計(必要以上)に同じ病の業力を作ると、それでは師父は私のために耐えてくださった業力が無駄になったのではありませんか!」 このようなことを許すわけにはいきません。これは旧宇宙の法理でも新宇宙の法理でも認めてもらえないはずだと思った瞬間、激痛が消え去りました。

 5時50分から、私自身の空間を整理し始め、6時から全世界の発正念の時刻にいつも通りに正念を発しました。すると痛みもせず、前の出来事がすべて夢のようでした。 

 体験文を書く前、私は明慧ネット上の『発正念するとき、真の自分を見分ける』の文章を読み直し、再び慈悲ある巨大な法力を感じました。また、師父がアトランタの修煉者にひたすら前へ突き進まないようにとおっしゃった法の裏の意味を理解しました。

 私たちは修煉の過程で様々な関門や難儀に出遭うとき、見る角度を変えれば、成し遂げるのに半分の力で倍の成果を上げることができるかもしれません。それは法理のもっと高い境地での現れです。 

  個人の悟りですので、不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

  2009年11月6日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/10/26/211124.html

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