安逸心は修煉者の修煉を台無しにしてしまう(二) 文/中国の大法弟子
(明慧日本)私はかつて人に依頼する心がとても強かったのです。数年前、家庭資料センターができたばかりの時、依頼心がとても強くて、自分で機械や材料を購入できますが、同修に頼んでしまいます。資料を配る時も誰かと一緒に行きたがります。それは法に基づいて同修とうまく協調するためではなく、自己の依頼心を満足したかっただけです。考えてみれば、依頼心も安逸を求める心から由来したものではないでしょうか? 同修が物を買ってくれれば自分が行かなくてもすむと、怠けて安逸を求めています。出かける時に誰かと一緒だと精神的な空しさを満足でき、心理的に頼りができ、不安をなくせると、精神上の安逸を求めています。
次は物質面から話しましょう。私は虚栄心がとても強いです。旧勢力がこれを利用して、この面において私にたくさんの障害を設けたせいで、この二年ずっと精進できませんでした。前述したように、家に執着している以外に服装にも執着しています。もっと自分を綺麗にするため、洋服があるのにまた買ってしまうのです。食べることについても同じです。美味しいものかどうかには執着していないのですが、家に着くと何かを食べたくなります。夕飯を食べた後、いつも夜九時か十時ごろに夜食を食べます。欲望を満足したい心は、結局この物質の身体の安逸のためです。時には夜に怠けて歯も磨きません。洗濯もたくさん溜めてからします。ことを行う際にはずるずる引き延ばして、甚だしきに至っては師父の新しい経文が来てもすぐに同修に届けませんでした。さらに酷かったのはしばらく前に、同僚達は皆金持ちになったようで、自分が依然と給料だけに頼っていると思っていました。条件のいい同修と一緒でしたら、共に修煉できるし、いい生活も送れると心が動じました。色欲の心も次第に強くなりました。資料配りも以前より遅くなって、たくさん溜めてから配りに行きます。あまり出かけないから出かけると恐怖心が生じてしまいます。資料を配る時にきょろきょろ見回して、誰かに見られるのではないかと心配します。その恐れる根源はどこにあるのでしょうか? 捕まるのを恐れて、投獄されるのを恐れています。もし、投獄されたら精神的においても物質的においても自由がなくなります。
つまり、ここで少し安逸を求めたり、あそこで少し安逸を求めたりして、結果として、安逸心をたくさん作ってしまって私を圧迫して、ますます怠けてしまって、夜中十二時の正念の時間にも起きず、朝も煉功に起きず、身体がますます重く感じるようになって、いつも少し家事をやっただけ腰も脚も痛くなります。
この安逸心は本当に私に苦労をさせました。私心以外は安逸心が一切の人心を引き起こす罪悪の元です。名利心、色欲心、依頼心、嫉妬心、虚栄心、恐怖心などなど、すべてが安逸心から由来したものですので、私達はくれぐれもこの安逸心を軽視しないよう心がけましょう。同修達は往々にして他の心を探すとき重視していますが、この一番重要な安逸心を疎かにしてしまいます。見つかったからには、これを取り除くことを重視すべきです。
もし探しただけで取り除かなかったら、探していないに等しいのです。安逸心はまだ存在しています。それでは、どうやってそれを取り除くのでしょうか?
正念を発するだけではだめです。執着心を見つけたときに、すぐ発正念を思い出す同修がいますが、少し効きますが、根絶できません。それは最も根本的な原因、自分を修煉することを軽視したためです。私自身のことでこの安逸心を分析した結果、怠けているのではないでしょうか? それでは精を出して頑張るようにします。当然、朝早く起きればいいという簡単なことではありません。早く起きたくても起き上がれないのです。ですので、全方面から安逸心を取り除かなければなりません。この安逸心はどの方面において表れているのか考えます。家事をやるとき精を出してやるべきです。忘れるときは床板を拭くべきだよとか、洗濯すべきだよとか、師父が注意してくださいます。時には思想が怠けて意義のあることも考えたくない時があります。その時は物忘れが多く、記憶力が落ちます。それで私はこの安逸心を取り除き、頭で物事を考えるようにします。
資料が来たらすぐ配りに行き、ずるずる引き延ばさないようにします。文章を書くのも同じです。悟ったらすぐ書きます。悟ったら早く直さないと安逸心に存在する空間を残してしまいます。服装は普通でいいです。他人と比べません。物欲の享受を追及しません。色欲の心が強い同修がいるようですが、実は生理上の安逸を満たすためで、後になって後悔します。色欲の心のためだけ発正念しても根絶できません。色欲の心は木の枝のようで根本のものではなく、安逸心から、工夫して根本からそれを取り除かなければなりません。
子供や孫に情が重い同修もいます。家に帰って孫を見ると嬉しくて笑いが止まりません。すぐに孫を抱き上げ、何度も口づけや頬ずりをして、絶えずこの世間の家族への情のような精神的な安逸を増加させています。この時は自分を抑制し、自分が修煉者であることを自覚し、情を取り除くべきです。要するに私達は脳、手、足をよく使って、各方面、各角度から安逸心を根絶すべきです。
私達は一緒にこの安逸心を正視し、根絶し、修煉途中の障害物を一掃しましょう。以上はあくまでも私個人の観点ですので、不足なところは同修のご指摘をお願いします。
(完)
2009年11月8日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/2/211715.html)
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