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心のバランスが取れないのは嫉妬心にほかならない

(明慧日本)私は修煉においてあまり精進しておらず、10数年にわたって修煉しても、名利心や闘争心・私心・欲望などまだ完全に取り除くことができていません。10数年来、ずっとこれらの執着心を完全に取り除くように努力しています。ところが、自分には嫉妬心があまりない、私は他人を嫉妬したことがないとずっと思っていましたので、嫉妬心を取り除くことは全く考えていませんでした。しかし、最近起きた事件で、深刻な嫉妬心に気づきました。

 事件の経緯は次の通りです。私の勤め先は国家機関で、事務用品費が非常に充実しており、40人あまりの職場ですが、1年間の経費は数十万元です。リーダーはいつもお金を束で使い、酒食遊楽にふけっています。しかし、職員が使う費用は非常に細かく計算して、1枚の用紙や1本のペンまで節約し、さらに職員の飲用水までも制限しました。これに対して、私は非常に不公平だと感じ、「リーダーが1回外食を省けば数カ月の事務費が節約できるのに、職員にはこんなにケチにして、人望を失っている」と思っていました。心が落ち着いた時、「修煉者にとって出遭ったすべてのことは偶然ではない」ということが分かりました。しかし、一体どんな執着心なのか深く考えず、内に向けて探すことができませんでした。この執着心にずっと気づかず、取り除きませんでした。

 最近、職員の意見を聞くために、リーダーは座談会を開きました。私はその場で、オフィスの主任が勝手に職員の用紙を制限したことを非難しました。会議が終わった後、主任は私と口喧嘩し、自分の誤りを全然認識しようとしませんでした。今回のトラブルは私を驚かせました。一体どんな執着心がこれほどのトラブルを起こしたのでしょうか。私は内に向けて探し、これは嫉妬心であると分かりました。心のバランスが取れないことは他でもなく嫉妬心なのです! 他人が酒食遊楽にふけっていることに対して、自分は用紙を使うことも自由にできないことへの不満です。嫉妬心があるからこそ、不満だと感じます。「悪い人は嫉妬心の行き着く末に、自分のため、怒りのために、自分のことを不公平だと言います」(『精進要旨・境界』)

 この事件を通じて、私は一つの理を悟りました。即ち、心のバランスが取れないことは嫉妬心だということです。勤め先でも家でも、隣人や親戚・友人、あるいは家族の間でも、心のバランスが取れない時は必ずこの嫉妬心が働いているのです。例えば、家であなたは親切に舅と姑に面倒を見ているのに、兄弟は手伝ってくれないばかりか、かえって文句ばかりを言う時、あなたは心のバランスが取れないでしょう? 親がえこひいきをしている時、あなたは心のバランスが取れないでしょう? あなたは会社で真面目に働いているのに、同僚はこれがダメ、あれがダメなどと文句ばかり言う時、あなたは心のバランスが取れないでしょう? これらの心の不満はすべて嫉妬心なのです。

 『転法輪』で師父は、「彼」より劣れている人が上司になった例を挙げてくださいました。「彼は心のバランスがとれなくなり、あちこちで不満を訴え、心中穏やかでなく、この上なく嫉妬するのです」 私の上司のケチに対する心の不満は同じです。自分が奉仕した分を得られないことに不満を感じ、嫉妬していたのです。この不満や、嫉妬は、やはり自分は常人の理で物事を測り、他人を評価しているのです。神なら、そういうふうにするでしょうか? 神には心のバランスが取れない時があるのでしょうか? 自分が奉仕した分を得られなかったのは、偶然ではなく、因縁関係があります。他方、修煉者として心の試練や次元の高まり、業から徳への転換が必要で、自分が得るべき物を得られないのです。神の立場で言えば、感謝すべきです。神なら嫉妬心がないのです。このような嫉妬心は確かに深く隠れており、十分に注意しなければなりません。

 個人の悟りですので、間違っていれば、ご指摘ください。

 2009年11月10日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/11/8/212128.html

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