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夫の交通事故から悟ったこと


文/山東省の大法弟子

(明慧日本)私は中国の農村部に暮らしている女性で、1998年1月に法輪功の修煉を始めました。私の村は大きな村落で、大法弟子も多く、同修たちは良い環境をつくっています。2007年までに、村のほぼ全部の世帯が法輪功迫害の真相を知り、「三退」をして、村の書記と村委員会までもが救われました。地元公安局は村に何回も来て大法弟子の私生活を妨害しようとしましたが、すべて村の幹部達にさえぎられました。

  2007年のある日、夫は車と衝突して、不幸にも死亡しました。これは私の一生の中で最も苦しく困惑したことでした。修煉者として、どんな事に遭っても私は師父と大法を疑ったことはありませんが、息子・娘・娘婿たちは大法に対して失礼な発言をしました。「これはどういうことですか? お父さんはとっくの昔に共産党組織から脱退して、またあれほど多くの大法の仕事をしたのに、これは一体どういうことですか?」と子供たちは、私を問い詰めました。

  修煉前、私の体はとても悪く、修煉して僅か3日で体に凄まじい変化が起こりました。私が修煉を始めて以来、夫は一度も私がやる大法の仕事を邪魔したことがありません。同修と初めて横断幕に大法のスローガンを書いた時、私たちに恐怖心があったため、すべては夫が代わりにしてくれたのです。私が真相資料を配るために北京に行った時、夫は私を駅まで送ってくれました。村の書記が家に来て私の行方を調べた時、夫はうまく私をかばいました。私が真相を伝え「三退」を勧める時、夫がその場にいればいつも手伝い、しかも毎回相手は「三退」をしてくれました。

  夫は正直で誠実な人なので、誰もが夫の言うことを信じたからです。当時私はいくつかの地区の協調人を担当して、真相資料の配達を担っていました。季節に関係なく、どんな天候でも、畑仕事がどれほど忙しくても、夫はいつも時間を割いて真相資料を私の代わりに送ってくれました。オートバイに乗る夫は自転車に乗る私より早いからです。忙しくて疲れているから明日にしようなど、一度も言ったことがありません。

  私はとっさに子供達の質問に答えられませんでしたが、極力彼らの良くない発言を遮りました。発正念の時、「この事件を利用して衆生を破壊するを許しません。あなたたちを解体します」と私は旧勢力と共産党邪霊に正々堂々と警告しました。

  この時、師父の『洪吟二・別れを哀しむ』に言われた「身は臥して牢籠にあれど傷(いた)み哀(かな)しむ別(な)かれ 正念正行有って法在り 静かに思う幾多の執着の事 卻(かえって)心悪き人自ら敗れる」の言葉を思い出しました。

  私はまた心を静めて『オーストラリアの弟子に対する説法』のDVDを何回も見ました。師父は再三にわたり、大法弟子に「内に向けて探す」ようにと言い聞かせられたので、私はまた何度も『明慧週刊』で同修が書いた「内に向けて探す」関連の交流文章を読み、内に向けて探しました。探すまではわからなかったのですが、修煉の道のりに私が払った努力は、とても足りないことに気づきました。

  師父は『2008年ニューヨーク法会での説法』に「他の人も修煉して良くなり、または常人がみな良くなったら、貴方にとって何のメリットがあるのでしょうか? 貴方にとって何の収穫があるのでしょうか? 貴方は社会にわずかな義務を果たし、わずかな良い事をし、これだけのことに過ぎません」とおっしゃいました。この言葉に照らして自分を見たら本当に恥かしくなりました。

  私は留置場から出所して暫くの間、『転法輪』を読まず、『明慧週刊』と師父の各地の説法だけを読んでいました。協調人をした時、同修と話す時の態度はとても「善」が足りず、もしも同修が私の話を理解できなかったら、私はイライラして声を荒げ、この同修はどうしてこんなに愚かなのかと思いました。私はよく指図をして、誰よりも自分の考えが一番行き届いていると思っていました。同修に指摘されたらとても悔しくて──これは彼女のためなのに、どうして理解してくれないのかと思いました。強い名利心と闘争心、および長年にわたって培った各種の観念のもとで、私は数年の貴重な時間を無駄に送ったのですが、悔い改めることにさえ気づきませんでした。

  家庭の中でも、家族が良い事をしたら、自分がしっかり修煉したために環境も正されたと思い、もしも家族が耳の痛いことを言ったら、どうして面倒な事がこんなに多いのかと、自分の心も動じました。大法に基づいて悟ったり、あるいは深く自分の執着を探したりせずに、家族の話は自分を高めるためにあると思わず、いつも常人の方法で問題を解決しようとして、良い結果を得られませんでした。

 協調人の仕事をした間、深刻な惰性のもとで、道が遠く、同修の人数が多くて回れず、自転車に乗るのは疲れるなどを理由に、また恐怖心もあり、いつも常人の夫を巻き添えにして同行してもらっていました。月日が経つにつれ、修煉者として常人の夫に強く依存をしてしまい、彼は私の修煉の「杖」になりました。しかし私はまだそれに気づいていませんでした。

  自分の修煉状態も良くなく、法を学ぶ時も煉功する時も眠くて、発正念の時に手が倒れていても、自分ではまだ気づきませんでした。しかし、すべてを邪悪な旧勢力に見られ、旧勢力は残忍に夫の命を奪って、私の「杖」をむざむざ奪いました。私をひどく困らせて、衆生済度の仕事にこの上ない損失をもたらしたのです。

  夫を知る周辺の村人は、法輪功は「三退」したら命が助かると言うのに、あの××のような良い人がどうして死んだのか、と聞きました。新しい学習者も動揺して修煉をやめてしまいました。 私の犯した過ちのためにです。

  数日後、夫と面識のない隣村の同修が、見た夢を私に教えてくれました。夢の中で、彼はハリケーンによって「天外の仙境」という所に送られたそうです。そこは仙人たちの病院であり、亭もあり楼閣もあり、とてもきれいな所です。何人かの医者と患者がいますが、みんな自分のやる事に集中して、彼が来たことに気づいていません。ある新しい白衣を身に着けている医者が彼に話しかけました。「△△さん、いらっしゃい。私は◯◯(夫の名前)ですよ」というので、同修は驚いて、「貴方を知りません」と答えました。その医者は、「家に帰ったら妻に伝えて下さい。私はここで良い暮らしを送っているので、心配する必要はありません。神様は私をここに来させて医者にし、私は仙人達の治療をやっています」と言いました。

  またハリケーンが吹いて、同修は夢から目が覚めました。同修は生前の夫の容姿は全く知りませんでした。しかし同修が夢の中で会った人の容貌は夫と同じでした。これを聞いて、師父がずっと弟子の私のそばにおられることを実感しました。私は夫の死に耐え切れないほど心配していましたが、師父は夢に託して私を安心させてくださったのです。私はこの夢のことを他の同修に教えたら、「私達がよくできていないため大法に大きな損害をもたらしたのに、慈悲なる師父は我々のそばにいて、私達を見放すことなく、ずっと私達を励ましておられる」と、みんな感激しました。

  師がおられ法があります。私達はただ多く法を学んで、法から知恵を得て、巨大な難関に遭っても倒れないようにしなければなりません。私たちに確かによくできていない部分がありますが、それを口実に旧勢力が衆生を害することを許しません。

  皆の努力を通じて、今、村の環境は大体正常に戻り、新しい学習者はまた修煉を始めました。みんなで集団学法と煉功をし、着実に「三つのこと」をしています。私の子供達も自分の誤りを認識して、インターネット上で、師父と大法を疑う言動を破棄し、法輪大法が良いことを信じて、法輪大法を応援し、過ちを償いたいという声明を発表しました。

 「修煉の路同じからず。すべて大法の中に在り、万事執着無ければ、脚下に路自から通ず」(『洪吟二・阻む無し』)修煉には他の同修とまったく同じ道を歩むことはありませんが、師と法を信じて、常人の観念を放下して神の正念を保てば、どんなことも我々を妨げることはできないと思います。

  話したいことはたくさんありますが、自分のレベルに限られて、うまく表現できません。今から、修煉の道はどれほど長くても、私は師父について、しっかり「三つのこと」を実行して、円満に師父について家に帰りたいと思います。

  2009年11月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/8/12/206341.html

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