■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/11/11/mh125750.html 



なぜ同修の発正念は効果がないのだろう?

(明慧日本)私はよく同修から、警官に迫害された時、発正念をしても効果がなかったと聞きます。また、ある同修は邪悪に妨害され病気になった時、発正念をしても効果がなかったと言います。これらの原因はどこにあるのでしょうか? 私は自分の悟りを書いて、同修と交流したいと思います。              

発正念は神通を使用することですが、なぜ師父は神通を使用するとおっしゃらないで、発正念と表現されたのでしょうか? 私は以下のように悟りました。

私たちが神通を使用する時、その動機は必ず純粋なものでなければなりません。それが大法のためであり、衆生のためでもあります。神通を使用して邪悪を取り除く目的は、大法を守るためであり、衆生を守るためです。己のための要素など全く存在していません。一部の同修は警官による迫害に直面したとき発正念をしますが、その動機は自分を迫害から守るためです。大法を守ることやあなたを迫害しているその警官も迫害に遭っており、救わなければならないことなど全く脳裏にありません。完全に自分自身を守るために発正念をしています。その発正念から発せられた正念は純粋なものではなく、利己的な常人の心なのです。その常人の心では神通を使用できるでしょうか? 当然のことながら使用できるはずがないので、「発正念」に効果がないのです。

ある同修は邪悪に妨害され病気に罹った時、発正念をしたと言います。その発正念の動機は自分の病気を取り除くためであり、大法のため、衆生のためではありません。その時は、「邪悪が私の所に来た、ちょうどよかった、必ず取り除いてみせます」という一心で発正念をすればよいのです。

人から神へ進む際、「利己心」は必ず捨てなければなりません。何か物事に遭遇した時、自分のことを考えるのではなく、大法のこと、衆生のことを考えなければなりません。そうすれば、完全に神と同じ心理状態になり、自然と神の力が現れ、神通を使用でき、邪悪を取り除くことができるのです。

2009年11月11日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/6/211977.html

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