■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/11/13/mh144850.html 



新しい修煉者の3年間の修煉体験(一)

文/中国山東省の大法弟子・新荷

(明慧日本)第6回中国大陸大法弟子の書面修煉体験交流の投稿通知を見ました。私の修煉は浅く、しっかり修煉できていないので、明慧ネットの同修に負担をかけないほうが良いかと思いました。しかし、古い同修に何度も励まされ、人心を放棄することができ、修煉体験を書くことができました。

 修煉を始める

 2005年11月のある日、会社で身体検査をするよう要求されました。自分では病気はないだろうと思っていましたが、検査の結果、数カ所引っかかり、病院で再検査したところ、治療困難な腎臓病だと診断されました。長期にわたり薬を服用し、しかも毎回多くの種類の薬を飲まなければなりません。とても悲しくなりました。私はもともと薬や注射が嫌いで、小さい頃から些細な病気だと薬を飲みませんでした。

 苦しんだ後に突然、同僚が法輪功を修煉して病気がすべて治り、薬や注射をしなくてもよいことを思い出しました。それは1998年のことで、その同僚に法輪功を紹介された時、退職してから煉功すると断り、目の前の好機を逃してしまいました。以前、会社で多くの人が煉功していましたが、国が修煉することを禁止し、みな労働教養所に拘禁されました。ある人は解任され、ある人は理不尽に処分され、私はどうすればよいかと悩んだ末、その同僚の家を訪ねました。

 その同僚から法輪功の功法を習い、12月の初めに大法の修煉に入りました。学法を通じて、修煉するまでの経緯は偶然に起こったわけではなく、縁が来たのだと分かりました。師父の按排のおかげです。

 明慧ネットを見る

 修煉を始めてから間もなく、心身共に大きく変化しました。以前の悲しみや、他人のせいにする心がなくなり、生活が平凡でつまらないと思う気持ちもなくなりました。代わりに気持ちがゆったりと爽快で、元気に満ち、楽観的で明るくなり、全く別人のようでした。毎日の学法と煉功が最も楽しみになり、同修は私が変わったのを見て、『明慧週刊』を私にくれました。それは私の視野を大きく開いてくれました。

 毎週、同修の所で『明慧週刊』を受け取り、読み終えるとすぐに送り返すのはとても面倒なことなので、他の同修の手助けのもと、情報封鎖を突破するソフトウェアを使い、明慧ネットの開き方を習いました。こうして学法、煉功のほかに、明慧ネットで師父の経文、修煉体験を見ることができ、切磋琢磨して自分を充実させました。毎日大法の中に溶け込み、素晴らしい雰囲気に浸る中で、修煉は厳粛で素晴らしいと感じるようになりました。

 資料づくりを手伝う

 徐々に法に対する理解が深くなり、正法時期の大法弟子として大法を守り、人々に法輪功が迫害されている実情を伝えるべきだと認識しました。私たちはどんな時にでも他人を考慮しなければならず、無私無我の覚者に達するべきだと法理は教えています。同修に励まされ、私は親戚に法輪功が迫害されている実情を伝え、法輪功を紹介しました。同修から法輪功に関する資料をもらい配りました。成熟するにつれて、自分の家にパソコン、プリンタがあるのに、なぜ同修から資料を受け取るのか? 同修はとても忙しく、なぜ同修にもっと多くの学法時間を与えないのかと思いました。そこで自分で資料をダウンロードして、資料を印刷し、配り始めました。印刷をするのも修煉です。心が清らかでない時は印刷された資料が黒く汚れ、インクが漏れると悟りました。毎回、印刷する前に発正念をして、清らかな心を保ってから、印刷しています。

 ある日、協調人が私に話があると言いました。資料を作る同修が足りず、資料が不足しているので手伝ってくれないかと頼まれました。大法のため、衆生のためならすべてを差し上げてもいいと思い、私は即座に了承しました。同修から良いプリンタを借りました。これは師の正法を手伝い、邪悪を暴露し、衆生を救い済度するための法器だと悟り、必ず大切に使用しようと決めました。良いプリンタを手に入れたことで、毎週資料を印刷し、資料センターに送り、印刷用紙を持って帰っています。

 資料センターの同修は同じ会社の同僚で、しかも同じマンションに住んでおり、いつも多くの荷物を運んで目立つので不安に思いました。さらに、資料センターの同修が大法を修煉しているのを誰もが知っているので、自分も修煉しているのを知られるのではないかという恐怖心が暴露されました。私は恐怖心を取り除き、正々堂々と大法の仕事をすると発正念しました。資料を送る時は『洪吟(二)・道中行』の「大道世間を行く、迷中の衆生を救い済度し、名、情、利を淘ぎされば、何れの難能く聖を阻まん」を暗唱して、多くの恐怖心を取り除きました。

 初めのころは資料を送ろうと思うと身体が震えてしまいましたが、今は平然としています。近所の人に会うと挨拶し、ほほ笑むことさえできます。なぜなら、このことは宇宙の中で最も神聖なことであり、恐れることは何もないからです。

(続く)

(明慧ネット第六回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

2009年11月13日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/11/9/212195.html

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