■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/11/13/mh145123.html 



法理を理解し 難関を乗り越え 師に従う(三)

文/河北省の大法弟子

(明慧日本)

 迫害を否定し、しっかり発正念をする

 労働教養所から帰りましたが、派出所と会社の人たちはまた迫害を企み、いつも騒ぎ立て、電話したりドアをノックしたりします。私はいつでも連行される可能性があり、プレッシャーを感じていました。頭の中にいつもどうやって逃げるか、人間としての方法ばかりを探しました。しかし、良い方策はありませんでした。

 ある日、「人としての方法は何にもならない、私は師父に加護されているので、安心して学法や煉功をすればよい。心性を向上させて、すべてを師父に任せ、何も考えなくてよいのだ」と思いました。この一念だけで、心がだいぶん明るくなり、何でもないように平気でいられました。実際に、いろいろな方法はすべて邪悪に押しつけられたものだったのです。それに私が執着してしまい、迫害の隙に乗じられていたと私は法理から認識しました。ここまで思ったとたんに状況も変わりました、今の私は、何か良くない念が起きたらすぐに止めようと思い、すぐに止められます。どうしてもその念を止められなかったらときは「法輪大法は素晴らしい」と念じれば、本当に効果があります。

 2003年の秋のことですが、邪悪らはまたやってきました。私は大法の中で修めており、間違ったらすぐに迫害するのは不公平です。師父は宇宙の主であり、私は師父に旧勢力の非を訴えようと考えました。私は両手を合わせて合掌し、「師父、私は修煉者です、間違っても修める機会を与えて下さい。師父お願いします」と念じました。すると、私の手はすこしずつ前へ進んで無限に伸び、一層一層の各次元の身体が旧勢力のことを訴えている風景を見ました。その時点で、私は、長い間涙が流れました。師父はきっと私のことを加護してくださると信じます。

 数年来、私は学法と発正念を少しも緩めていません。2003年秋から私は発正念の回数を増やしました。発正念の時に、神の状態になり、神が邪悪を駆逐し、神が法を実証するようになります。私があの邪悪なグループの数人に対して発正念をする時に(たとえば数日間1人を目がけて発正念をして、その後もう1人に発する)、いつも屋内のあちこちで音が鳴るのが聞こえます。翌日になると静かになりますが、もう1人に変えて発すると再び音が聞こえます。発正念の時に他の空間の風景は見えませんが、師父に言われたように威力がとても大きいことを信じています。普段私は毎日14回、正時に正念を発します。北京に悪党の大会があると、私は発正念を18回しました。2008年までずっと続けました。発正念時にいつもすべての隔てを突き破る念を重ねています。最近、邪悪らはまた「10月1日」の国慶節の記念活動を準備していたので、私は北京へ向かって発正念をしました。まるで北京が目の前にあるようで、距離感はまったくありませんでした。

 世人を救い済度し、苦をもって楽となす

 2002年の後半、私は労働教養所から出てすぐに真相を伝え、人を救い済度しました。当時、邪悪は気が狂ったように、いつも尾行や監視をして私を連行しようと企んでいました。私は農村に行って真相資料を配りました。いつも夕方出発して、2時間自転車をこいで農村に着き、帰りはたいてい夜中です。農村の道路は悪く、雨の後は最悪です。私は通り、通りで配り、邪悪に資料を拾われないように安全な場所を選んで配りました。こうして、かなりな距離を歩きますが、足の爪が剥がれても痛く感じませんでした。

 邪悪の旧勢力はまたいろいろな幻像で私を脅かすこともあります。ある日、私が資料を配る最中に、後ろから男性がついてきました。私は交差点で急速に曲がり彼を引き離しました。もう大丈夫で、私の行方が分かるはずがないのですが、続けて配っていると彼が再び後ろに現れました。当時はとても不思議でしたが、考えればやはり幻像で、恐怖心に対する試練だろうと思いました。

 2003年から2007年の間、会社は私の定年退職を許さず、毎月200元の生活費だけを与えました。私には、まだ学校へ通っている娘が一人います。隣近所の人も大変だねと言います。しかし、私はちっとも苦しく思いません。人と比べないことにしています。人には人の楽しみがありますが、私には自分で楽しいことがあります。頭の中にいつも真相を伝えることばかり考えて、お金のことを思う暇がないのです。「いかなる心も放棄し、何も考えず、ただ大法弟子として行なうべき全てを行なえば、全ては既にその中にあります」(『導航・ワシントンDC法会での説法』)

 2〜3年前、同修に手伝ってもらって私も家庭資料点を立ちあげました。当時は何も構わず、手元のお金を出してパソコンとプリンタを買い、お金が無くなりました。プリンタを買う時にたった500元しかなく、そのお金は、兄が亡くなった母の3周年記念用に用意してくれたものです。それでプリンタを買い、母の記念日のためのお金をちょっと借りると親戚に断わりました。しかし、実際にお金を使おうとした時、不思議にも500元が家から出てきたのです! 本当に不思議でした。今まで家にあったお金はすべて使い果たしたはずです。

 資料点の最初の運営は、同修から消耗品をもらって続けました。それから、会社から定年退職の手続をしてもらったので、私は自分で買えるようになりました。日割り計算でただ十数元だけを生活費に使い、消耗品を買うと、月末の数日はお金がなくなります。しかし、生活は本当に簡単で、お腹がいっぱいになればよく、1元のおかずで1日を過ごすことができます。良いものを買わず、節約して毎日を過ごしていました。今振り返ってみると、このような日々をよく過ごしてきたと思います。

 (続く)

 (明慧ネット第六回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

  2009年11月13日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/4/211402.html

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