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真善忍が子ども達の心を変える(一)


文/中国湖北省の大法弟子

(明慧日本)尊敬する師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは。

 私は小学校の教師で、1998年、縁があって法輪大法の修煉を始めました。大法の教えに従って教師の仕事に力を注ぎ、心を込めて生徒を教育した結果、同僚や保護者達から信頼を得ました。私は3年で、最劣等クラスを最優秀クラスに変え、80数人の劣等生は誰にも好かれる天使になりました。子供達の変化は大きな反響を呼び起こし、多くの保護者が法輪大法は素晴らしいと理解してくれました。私の手立ての源は「真・善・忍」です。

  まるで自殺行為、最劣等クラスを引き受ける

 ある秋の始業式、校長は私に4年1組の国語を担当するように告げました。このクラスは成績が最低、規律も最低で、その上、クラスの保護者全員が一致して担任の交代を要求してきたことがあります。先生が交代しなければ、生徒全員を転校させると保護者から脅されたそうです。ずっと前からそのことを聞いていた私は、校長のとても困っている様子から、どの先生も引き受けなかったと分かりました。そこで、私は考えました。私は大法を修煉しており、師父は私達に他人を先に考えるべきで、苦しみに耐えることを教えてくださいました。

  師父は『転法輪』の中で次のように述べられました。「これらの従業員は法輪大法を学んでから、早く出勤し遅く退勤するようになり、コツコツと働き、上司から与えられた仕事は何でも文句なしに受け入れ、利益をめぐって争うこともなくなりました。彼らがこのようにしていると、工場全体の心掛けも一変し、工場の収益状況も好転しました」 私は楽な仕事を選び、苦しい仕事を避け、あれこれと選り好みをしてはいけないと思い、学校のことと保護者のことをよく考えるべきだと悟りました。

 私は迷わずに承諾しました。担任の期限を聞くと、校長は「一学期を持つようにしましょうか?」と探りました。「卒業するまでさせてください。一学期だけで交代すると、生徒の教育に良くないし、保護者のクレームも多くなります。私にも子供がおりますので、自分の子供にもよい教師に出会って欲しいという気持ちを持っています。だから、私は必ず力を尽くして頑張ります」と言いました。

 校長は重荷を下ろしたかのように、とても喜びました。同僚はそれを聞いて「それは自殺行為ですよ!」と言いました。上司は遠まわしに勧めてくれました。「あなたは自分の専門教科だけを教えるべきですよ。すべて最初からするのは大変なことになりますよ」 それを聞いた私は微笑んで答えました。「大丈夫です!」

  どんな方法も通じず、涙を流した

 数学の教師は定年が近いので、私で本当に大丈夫なのかと悩んでいました。数学担当の先生は責任感がとても強い方で、一生を教育に捧げてきました。数学の教師は劣等クラスを進んで担当しない後輩の教師に失望し、自分のプライドに泥を塗ったと考えました。私が担当すると聞いて残ってくださり共に頑張ることになりました。我が校の慣例としては数学教師がクラスの担任になるのですが、年配の彼女では、体力的に無理だと考え、彼女を顧問の役割にして、私がクラスの担任になろうと決めました。

 このクラスはなんというクラスでしょうか! 教室はごみ屋敷のようで、床を踏んだら離れなくなり、廊下に豆乳の汁があちこちにこぼれていました。クラス全員で83人いますが、うち70人以上は、宿題をやらず、本も読まず、先生の質問に応じず、ほんの少しも良い習慣がなく、にやにやするばかりでした。10数人が盗みを働き、持ってきた文具が一瞬にしてなくなり、前任の先生の財布も盗まれました。校外で店の品物を集団で万引きをすることは、学校で知れ渡っていました。保護者達が学校に協力せず、毎日苦情を言いに来ます。先生方の気持ちも理解できました。

  10数年教師の仕事をやってきましたが、こんなクラスを見たのは初めてです。はじめて教室に入ったとき、私はかすかな後悔の思いがありました。これからどうしましょう? もし引き受けなかったら、どれほど気が楽でしょうか! しかし、これらの子供たちをこのままにしては、一生台無しになってしまうかもしれず、家族には1人の子供しかいないではないかと考えました。

  私が初めて宿題ノートを回収したとき、83人の中からわずか数冊しか回収できず、しかもノートはボロボロで、内容がめちゃくちゃでした。宿題をやってこなかった生徒に立つように言うと、「ガタガタ」と大きな音を立ててほとんどの生徒が立ち上がり、一人ひとりの顔には世間を嘗め尽くしてきたような表情が浮かび、だらしない格好で何をされても怖いものなしのような姿勢で、先生の出方をじっと待っていました。

  私は仕方なく怒りを強く抑えながら、宿題をやってこなかった生徒に罰としてグランドを走らせることにしましたが、効き目がなく、彼らは相変わらずだらだらしていました。校長は、「走らせてもいいが、5周を超えてはいけない。さもないと倒れたら責任が問われてしまう」と言われました。言われた瞬間、目に涙があふれて来ました。すぐ壁に身を向けて「動揺してはならない!」と自分に言い聞かせました。

  私は大法弟子で、大法を通じて子供たちを救うことができるはずだと考えて冷静になりました。私は強引に押し付けようとせず、グランドで生徒達に信用がいかに大切かを、昔の物語を用いて説明しました。約束は守るべきで、毎日宿題を終わらせるべきだと子供たちに教えると、かえって大人しくなってきました。

  「真・善・忍」こそ、教育の源

  生徒達の悪い習慣を直すため、私は数学教師や他の経験豊かな先生から色々と教えてもらいました。先生達は、罰として立たせたり宿題を多くしたり、食事抜きとか反省文を書かせるとか、また皮肉混じりで叱ったり、あるいはちょっと叩いたり、ひざまずかせたりさせますが、問題として取り上げられたことはありません。あざを残さないため、学校側も知らない振りをし、さらに叱られると思って子供達は親にも言いません。

  多くの先生は権限を学級委員に与えたので、委員は大声で罵り、叩いたり、宿題を多めにさせたり食事を抜くなどをさせることができます。先生は楽になるし、問題が出ると、生徒のせいにすることができます。甚だしきに至ってはある教師は一番悪い生徒を指図して「悪には悪をもって」の手法でクラスの規律をまとめています。生徒達も「あなたのためだよ」という考えを先に押しつけられるため、叩かれても言うことができません。こうなると、弊害がだんだんと多くなってきて、学級委員は校内で暴力の執行者となり、乱行や悪事を働き、生徒から「賄賂」も受けたりします。罰を与える権限が大きく、教科書の文章を100回書き写させ、帳消しもでき、はなはだしきに至っては先生の「コネ」で、学校をめちゃくちゃにし、暗黒社会になったようでした。

  私は大法弟子ですので、人を叩いたり罵ったりしてはなりません。悪に悪の方法を使ってもいけません。私は師父が『精進要旨・はっきりと目覚めよ』の中で「わたしがいつも言っているように、ある人がほかの人のためだけを思って、しかも、自己の目的と認識を少しも抱かなければ、語る話は聞く人に涙を流させることでしょう。 わたしは皆さんに大法(ダーファ)を教えただけではなく、わたしの行ない方を皆さんのために残すわけですが、仕事の時の口調、善の心、それに加えて、道理で人の心を変えることはできても、命令では永遠にできないのです! ほかの人は、心の中では不服で、ただ表面的に服従しているだけということであれば、見られていない時に、相も変わらず自分の思うままに行動することでしょう」と言われたことを思い出しました。私は「穏やかな口調、善の心、道理」で人の心を正そうと決心しました。

 私は正見ネットから物語を探し出して分類し、1冊の大きいノートにストーリーのあらすじを書き残しました。例えば、誠実と信頼、善良、寛容と忍耐、因果関係、廉恥(心が正しく、不正な行いをはじること)、正直、嫉妬しない、神仙の物語、科学発見、先史文明などに分類し、普段よく読んでおいて、生徒の問題に応じて物語の道理を交えて言い聞かせ、道理を重んじさせました。子供たちはよく聞いてくれ、しかも帰宅後親にまで話しました。この方法をとると、生徒達の自尊心にも傷をつけず、道理を分からせることもできました。

  生徒達が決まりを破ったとき、私はできるだけ生徒達の立場に立って彼らの言い分を聞きました。そして、私は真剣に自身の不足点を探しだし、生徒達と共に正してきました。例えば、宿題をやってこなかった原因は、授業の内容が分からなかったため、やり方がわからず、あるとき、国語と数学の宿題が多すぎたために、やり終えられず、あるときは、基礎が解からず自信をなくしたとか、またあるとき、遊びに夢中ですることを忘れたとかなどなど、私は具体的な原因に応じて対処してきました。生徒達に宿題をやる必要性を説明し、効き目のある勉強法を教え、あなたならきっとできるはずだと励ましました。

 私は生徒達と友達になり、内緒話まで話してくれるようになりました。毎日放課後、生徒達は私と一緒にいたくて帰りたがらず、クラスは最優秀のクラスとなりました。同僚たちは皆、私が「神秘的な能力を持っている」と言いました。

 私が間違いをしたとき、師父が巧みに教えてくださいました。ある学校が大行事を行っているとき、生徒達が皆グランドに集まっていました。私は6列の「貴族クラス」の生徒を担当し、この列の生徒達は普段でき愛されているため、言うことを聞かず、管理するのはとても難しいのです。舞台に上がる時間がもうすぐなのに、列がまだ整っておらず、私は怒りで爆発しそうになりました。ちょうど手に雨傘を持っており、傘で列の最後尾で大声を出して騒いでいる生徒を叩こうとすると、傘の柄が二つに割れて、片方が下に落ちて皆は大笑いし、私も笑いました。私達人間は人間のことを大事にしますが、高次元の生命は徳を重んじています。師父は私が人を叩くことで徳を失わせたくなかったのです。

 ある授業中、私は怒って廊下を横切り、授業を受けずに話し中の2人の生徒を教科書で叩こうと思い、突進する途中で私の足の太ももの外側が机に強くぶつかりました。「人を叩いてはならない」とすぐ悟りました。私は突然目が覚めました。自分を厳しく律し、真の大法弟子にならなければなりません。自分自身の一挙一動、目つきなどすべては大法の真相を代表するため、「真・善・忍」から修得したものを生徒達に見せなければならないのです。

 (続く)

 2009年11月14日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/11/7/211999.html

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