日本明慧
|
師父からいただいた食券の思い出(写真) 文/中国山東省冠県の大法弟子 (明慧日本)慈悲で偉大なる師父が山東省冠県の招待を受け、法輪大法を縁のある人々に伝えるため、1992年11月12日、弟子3人と共に冠県にいらっしゃいました。講習会終了後、師父は県招待所で購入した食券の残りを地元の弟子に渡されました。
1992年の初夏、冠県は初の県人交流会を開きました。県外から続々と地位のある県人が戻り、その中に中国気功研究会に勤務していた韓玉安さんがいました。県の幹部は韓さんに名声の高い気功の先生を紹介してほしいと依頼しました。そこで韓さんは私たちの師父を紹介したのです。当時、冠県においては数種類の気功が伝わっていましたが、期待するほどの効果は得られていなかったのです。そこで県の幹部は希望を韓さんに託したのです。韓さんの法輪功についての紹介を聞いた幹部達は、法輪功を招待することを決定しました。そして発起人として名を連ねたのは、張懐軒(元県紙編集長)、県体育委員会の安文彬、劉希奇、県副書記の石永朝、副県知事の斎玉芬、民生局長の張汝亭、王秀峰および主任の朱玉春(当時某気功の責任者)、県気功協会会長の王、老幹部局の周振達などの諸氏でした。
1992年11月12日の早朝5時ごろ、師父一行4人は邯鄒駅に到着しました。準備されていた専用車で、済邯国道に沿い、唐寺村を通り抜け、冠県に向いました。約2時間後の7時頃、車は今名紅旗路にある清原橋付近に停車しました。その曲がり角にある軽食の屋台で、師父は冠県での最初の食事をここで摂られ、揚げパンと豆乳を召し上がりました。そして直ちに、打ち合わせのため県幹部らが待つ老幹部活動センターへ向かいました。師父は到着すると休む間もなく打ち合わせをしながら、来ていた県幹部の身体を調整されました。 当時打ち合わせ会議に参加したのは公安局、民政局、老幹部局、体育委員会の幹部、気功協会および各気功の責任者たちでした。県幹部の瑞さんは師父を昼食会にご招待し、そして自宅への宿泊をお勧めしました。師父は病気治療の人が多く来るので、迷惑をかけることになりますと丁寧に断わられました。師父はビジネスマンがよく利用する冠州ホテル(元県招待所)に宿泊されました。最初の夜は東館に宿泊されましたが、料金がやや高いので、翌日から安い西館に移られ、最終日の23日まで宿泊されました。食堂の食券を購入され、1日3食ホテルの食堂で召し上がられました。 師父は衣食住についてとても倹約され、毛糸のセーターは破れたところを繕って着ておられました。食事も朝食は蒸しパン、おかゆと漬物で済ませ、昼食と夜の食事は料理一品と蒸しパンで済ませておられました。食事の量は足りないと分かっていても再び買うことはされませんでした。師父と一緒に来ていた劉同修は朝食の時、師父に目玉焼き一つを買ってきました。師父はきっと喜んでくださると思っていた劉同修の予想に反し、師父は厳粛な態度でこの行動について説法され、劉同修は師父の説法を聞いて感激し、涙を流していました。師父が劉同修にどのような説法をされたのか、残念ながら周りにいた私たちには聞こえませんでした。 師父がお帰りになった後、地元の修煉者は集団学法を重視し始め、次第に法に則って昇華し向上しています。 2009年11月15日 (中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/5/211791.html) |
||||||||||||||||||
■関連文章 | |
・ | 武漢市の二人の弟子が、師父の講習会に参加した喜ばしい思い出 |
・ | 忘れられない師父の洪大なご恩 |