日本明慧
■印刷版   

風雨の日々の中で成熟する(二)


文/中国黒龍江省の大法弟子・磐石志

(明慧日本)

  二、立ち上がって、修煉の環境を切り開き、大法の無実を証明する

 私は学法が深くできていなかったため、また師父の新しい経文を読めない状況下で、旧勢力の按排した今回の邪悪な迫害を、人間の人間に対する迫害と見なしてしまいました。当時、顕示心、闘争心、自己を実証する心がとても強く、この迫害を根本的に否定することができず、ひたすら人間の一面で自分の信仰を堅持していました。その中で、邪悪に隙に乗じられて、更にひどい迫害に遭い、不法に強制労働教養を受けていましたが、5年の判決を言い渡されてしまいました。

 最初、彼らは私をある刑務所に拘禁しました。刑務所で私は指導員の看守に法輪功が迫害されている実態を伝え、彼にとても早いうちにそれを分からせることができ、彼は大法弟子をよく理解できるようになりました。彼は私と話をする時は毎回、私を椅子に座らせ、まるで友達のようでした。その後、私が転向しなかったため、彼は中国共産党から経済的な迫害を受けましたが、彼はすんなりとそれを受け入れ、耐えました。その時、私は彼に対して感激でいっぱいでした。

 しかし、このような安逸な環境の下、邪悪な圧力のない状況下で、私は正念を緩めてしまい、修煉も精進しなくなりました。法を暗記すること、正念を発すること、煉功も緩めてしまいました。しかし、自分ではよい環境を切り開いたと思っていました。この時、邪悪は隙に乗じ始め、突然、私を極めて邪悪なある刑務所へ移しました。私は正念が足りなかったため、そこに着いてから2日間、彼らにめった打ちされました。1回は殴られて意識を失いました。気がつくと、彼らは1本の大きな針を私の手の合谷のツボに差し込んでおり、すでに血が流れ出ていました。このような重圧の下、朦朧とした状態で、私はある紙面にサインしてしまいました(注:修煉を放棄する内容であったと思われる)。

 それ以降、私はとても意気消沈した状態に陥りました。非常に強い屈辱感に襲われ、忍び難いこの数年を乗り越えてきたのに、最後に汚点を作ってしまったと悔しく思いました。心は極めて辛く、もうすぐ自分は破壊されてしまうような状態でした。このような状態はとても長く続きました。その後、私はこの状態は正しくない、ちょうど邪悪のワナにはまってしまい、邪悪はあらゆる方法を使い尽くして、私たちが修煉できないように、修煉を放棄させるようにしていることに気づきました。私は立ち上がり、元気をとり戻し、汚点を洗い流そうと決心しました。

 私は刑務所で、毎日『論語』、『洪吟』、『精進要旨』を大量に暗記しました。とりあえず、暗記できる経文は大量に暗記しました。同時に大量に正念を発しました。師父の説かれたとおり、「『修は己にありて、功は師にあり』なのですから、あなたにそういう願望があれば充分です。本当にこのことをやってくれるのは師で、あなたにはとてもそういう力はありません」『転法輪』) 私たちが『転法輪』を欲しがっていた時、師父の按排の下、私たちは巧みに手書きの『転法輪』を手に入れることができ、その後、新しい経文、電子書籍、MP3も持つようになりました。

 2005年から私は甲と乙の2人の同修と一緒に学法し、交流し、煉功して、基本的に強制労働に参加しませんでした。こういう環境は邪悪に協力しないことから始めて、少しずつ切り開いたのです。私たちは毎日20回くらい正念を発しました。邪悪は私たちにお手上げの状態になり、毎日明け方に私たちが洗面所で煉功するように按排してくれました。洗面所は夜、鍵をかけていましたので、毎日鍵を開けてくれる人がいました。こうして、私たちは毎日5式の功法をすることができました。

 邪悪な環境の下では、少しでも正念を緩めると隙に乗じられます。1回定刻に正念を発せず、学法を続けていましたが、突然警官がやって来て本を奪って行きました。その後、受刑者が言うには、その警官は私の周りでしばらくうろうろしていたらしいのです。邪悪な環境の下で、大法書籍を保護することは容易いことではありませんでした。ある大法弟子は正念が足りず、邪悪に多くの書籍を奪われて、最終的に、大法書籍は水に浸され、大きな損失を招きました。私たちの持っている1袋の大法書籍は基本的に私が管理していましたが、一刻も私の身から離しませんでした。

 いわゆる敏感日になると、邪悪は大捜査を実施し、私たちがふだんいる場所、着ている洋服のポケットなどを検査していました。ある時、武装警官が捜査にやって来ました。私は1袋の大法書籍を手に持ち、心中正念を固めていました。大法は私の命よりも大切であり、邪悪に持っていかれてはなりません。そして、強大な正念の下で、彼らは私の洋服のポケットだけを捜査し、私はその袋を手にしたまま、捜査完了の隊列に歩いて行きました。再び、大法の不思議を体験しました。また、邪悪がまだ捜査していないうちに、私は捜査完了の隊列に歩いて行ったこともあります。袋を手に持っていましたが、無人の状態でした。私を止まらせる警官はいなかったのです。実際、私たちが正しく悟り、正しく行い、その強大な正念が法に基づいていれば、邪悪は敢えて大法を迫害するこはできず、敢えて大法弟子を迫害しようともしません。とても多くの魔難や損失は私たち自身が作ったのです。

 私たちは自分を修煉する以外、また接触できる受刑者に法輪功が迫害されている実態を伝え、三退を薦めました。多くの受刑者が邪悪な組織から脱退しました。私たちはまた『洪吟』の一部を書き写して彼らにあげました。彼らもそれを勉強し、暗記しました。私たちは年配の受刑者のために洗濯をし、毎日義務として部屋の掃除をしています。一部の警官や受刑者はとても私たちを敬服しています。彼らはすべての人々があなたたち大法弟子のようであれば、社会に犯罪はなくなると言っていました。実際、邪悪の環境の中で、人心が多ければ、多いほど、恐れる心が多ければ多いほど、迫害は更にひどくなります。邪悪は人間を迫害しており、彼らには神を迫害することはできません。

 (続く)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会) 

  2009年11月15日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/6/211522.html

■関連文章
風雨の日々の中で成熟する(一)
くれぐれもだらけてはならない
発正念の威力がなぜ違うのか
人を助けることは 自身を助けること
大学生:ただひたすらに人を済度する
私達はいつ成熟するのか
自分を律することを緩めない
新しい学習者:執着を放棄し、法を実証する
あなたが変われば、周りの環境も変わる
環境は衆生を済度するために作られた(二)