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修煉者は安逸の心によってダメにならないように

(明慧日本)尊師は『マンハッタン説法』で、私たちに次のようにおっしゃいました。「皆さんの現在のこの修煉は修煉形式に関する要求と束縛が見えないのですが、現実社会で修煉していれば、人間にとって本当に各方面から誘惑され、いつでもどの出来事においても、あなたが要求に達しているのかどうかのことがあります。ですから、歩み続けてきた人は本当に素晴らしいのです」 師を信じ、法を信じることは、まさに私たち修煉者にとって、厳粛で重要なことです。

  修煉者自身が名・利・情、私心、安逸の心などを放下できないならば、「自我」を放任させることに等しいのです。これらの人心は私たちの生活に密かに存在しているため、法に照らして一つの念、一つの考え、さらに一言一行に気をつけないと、「魔を招く」深刻な事態に陥るのです。私は企業でずっと働いてきました。毎日の仕事は決して楽なものではありません。日ごろ職場でたまに妄想にふける時もあり、「自分も定年退職になれば、なんと優雅な生活を過ごせるだろうか? 悠々自適の中で、修煉に精進し、毎日学法の時間を確保して法輪功が迫害されている真相を伝えることができるのに」と思っていました (当初、それらのことは人心だと気付かず、『洪吟二・修煉の路同じからず』の法を思い出せなかった)。しかし、私によぎったこの一念によって、トラブルを招いてしまいました。

  数日後、2番目の姉が電話で「夫の国の低額保険を申し込んだらどうか」と私に知らせてきました。私は常人の夫(修煉していないが、法輪功の真相を知っている)がこの保険に入っても入らなくても特に意見はなく、私自身も加入していないと思いました。この保険に対して、夫もあまり気にしないようでした。姉は、また私と娘に申し込むように誘いました。この低額保険に加入する規定には、法輪功修煉者はまず「修煉を放棄する」と意思を表明する保証書を書いて街道管理者に交付して、やっと許可が得られるという条件があります。その時、これはいけないと気づいて驚きました。姉が保険の加入を誘ってきた一連の出来事はまさに自分の一念によるものです。私の念が歪んでいたため、それらの余計なことを招いてきたのではありませんか? 安逸の心を強めて悠々自適の生活を欲しがることで、結局邪悪に隙に乗じられていました。邪悪は、低額保険という罠にはめさせようとしていました。

  旧勢力はその偽善の仮面であなたをダメにすることを企んでいます。邪悪な旧勢力は少しの隙でもあれば、あなたを落とさずにはいられないのです! 私はさっそく、姉に低額保険の加入を断り、邪悪に保証書など渡すものかと心で叫びました。こうして、保険のことを誰にも言われなくなって、生活が静まりました。

 邪悪は金銭の利益で大法弟子を誘惑すると同時に、「修煉を放棄する」保証書を書かせるよう企みました。安逸の心と悠々自適の生活を求める修煉者を対象にして、その心を満足させようとしています。明らかに修煉者をダメにしようとしているのではありませんか? 一旦、保証書を書いたら、洗脳班(思想改造施設)や労働教養所などの魔窟に送られて、保証書を書いたことと違わないでしょう! 正法はすでに最後の最後の段階に近づいており、時間も人を待ちません。保証書を書いてしまえば、永遠に抹殺できない汚点になります。洗脳班や労働教養所でのこの上ない残酷な拷問などの迫害にも、決して邪悪に屈することはないのに、なぜ目の前の利益に屈して過ちを犯してしまうのですか? 

  もちろん、その誘惑は、大法弟子全体に影響を与えることはできず、正法の進展に全力で追いつく同修にとっても、ごく小さな試練と見られています。しかしながら、私の地元にそういった利益に目がくらんだ同修が現われました。私たちが大法の中で長年修煉して得た理性と智慧はどこにありますか? 旧勢力が私たちを下へ落としてダメにすることは分かっているではありませんか! 尊師は、修煉の道のりが非常に狭いと私たちに啓示してくださったことがあります。正法修煉者には返本帰真の道のりで邪悪による多種多様な手口や利益に惑わされます。目に見えない危険は、最も気をつけなければならないものです!

  個人の悟ったことですが、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

  2009年11月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/11/212388.html

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