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真善忍が子ども達の心を変える(二)


文/中国湖北省の大法弟子

(明慧日本)

  生徒達の初めての作文

 生徒達が一番苦手なのは、作文を書くことです。原因は三つあります。自信がなくて書けない、作文の書き方を知らない、中国共産党の党文化の影響で、嘘で固まった題名でホラを吹くような書き方しか知らず、書きたくもありません。

 クラスを引き受けた当時、子供達の作文は多くても三つの言葉しか書けず、しかも、句点も付いていませんでした。ある授業中に、「しゅっしゅ」という鳴き声を聞いたので、声をたどると、生徒の引き出しの中にガタガタと震えている小さなキジバトを見つけました。私は慈悲の念が生じてきました。可憐なキジバトの、小さな命がまもなく絶たれようとしています。子供達よ! あなた達は殺生の大罪を犯すことになるかもしれないのですよ! しかし、私が説教しても聞いてくれないことは分かっています。現在の中国では、無神論教育の毒害を受けており、殺生が罪となることを知っている人が何人いるでしょうか?

 私は小さいキジバトを観察させました。キジバトを紙の上に乗せて、子供達に細かく観察させ、手で柔らかい絨毛を触らせたり、力がない爪で掌を少し踏ませたりさせると、子供たちは興味が湧いてキジバトを好きになりました。しかし、キジバトは目を大きくして怖がり、絶望の声を上げていました。私は子供たちに静かにキジバトの鳴き声を聴かせ、キジバトが何を言っているのかを想像させました。ある子供は「怖いからママを呼んでいる」、またある子供は「家に帰りたい」などと答えました。子供達はキジバトを可哀想に思い始めました。キジバトがどこから来たのかと聞くと、「5角(1元の半分)で校門外の商人から買った。他に買う人も多かった」と、子供たちは答えてくれました。「キジバトはこれからどこに行くのでしょう」と質問すると、「何日か経ったら死ぬだろう」と口を揃えて言いました。「私達はキジバトを愛しているはずなのに、殺してしまうことになります」と言いながら、黒板に「5角=一つの命」と書きました。「命とはこんなに安いものですか?」 その時の状況は子供に強い印象を残しました。それ以降、多くの子供たちは小動物を買わなくなり、同時に商人が金を儲けるために何でもすることを非難しました。

 私は子供たちに今日見た事と聞いたことや感じたことを作文に書かせ、自分で題名を付けさせました。今回の作文は見事に早くできあがり、しかもよく書けました。

 それから私は続々と、植物には感覚があるという実験の話を話したり、パソコンを開いて『水は答えを知っている』という文章の中の写真を見せたり、私のバイク「小赤龍」は子供が贈ってくれた事も話しました。すると、子ども達はだんだんと万物には命があることが分かり、大事にすべきことも、自然界と調和して共存すべきことも分かりました。私達が春のピクニックに行ったとき、子供たちは大好きな花を採らず、自発的にごみを拾っており、感動させられました。

  2本のソーセージ

 6年生の春のピクニックの時、食堂で朝食にソーセージが配られ、2本あまりました。2週間過ぎましたが、ずっと教壇の上に置かれたまま、誰も盗みませんでした。

 私は2本のソーセージを手に持って、「誰かいる人はいますか?」と尋ねると、生徒達は微笑みながら頭を振りました。「先生が食べてください」という生徒もいました。

 私の目に涙があふれて来ました。「子供たちよ! この2本のソーセージは先生の最優秀賞の賞状であり、よい先生の証です。そして、あなたたちにとっても最優秀の賞状であり、一番正直者だという証ですよ!」と、私は称賛しました。

 多くの子供も涙を浮かべました。こんなことはクラスを引き受ける前にはありえないことで、ほかのクラスにもありえない出来事でした。

 2年前に担任を引き受けた当時、クラスで12人の子供が盗みを働き、同級生の朝食代、前任の先生の財布、朝食時の豆菓子、また校門外の露店の品物などを盗んでいました。

 引き受けた翌日、クラスの生徒のものが盗まれる事件が数件起きました。私は子供達に『アヒルを罵る』の物語を話してあげました。内容の大筋は、食いしん坊で怠け者の王さんは、張爺さんのアヒルの卵とアヒルを盗んで食べてしまいました。そうしたら、全身にアヒルの毛が生えてきて、痛くて痒くて誰も治すことができず、土神様は彼に張爺さんを探し出し自分を罵るように教えてあげましたが、張爺さんは罵ろうとせず、徳を失うからいやだと言いました。王さんは仕方なく、自分で非を認めざるを得なかったので、ドラを叩きながら街を回って心を入れ替えることを示したため、アヒルの毛がやっと身体からはがれ落ちました。子供たちは神秘で面白さを感じたようでした。

 時間があれば生徒達に、『楽羊子の妻』『孔子は渇しても盗泉の水を飲まず』『廉恥を知る者は侮辱の食を食わず』『子罕は貪欲にならないことを宝とする』の昔話を話して、神から伝授された文化を通じて廉恥・仁義・道徳を分からせるようにしました。

 私は子供たちに「貞観の治」の時代には、道に落ちたものを拾わず、夜になると戸を閉じる必要がない平和な盛世であったことを述べ、聞いた子供たちは憧れであふれました。「先生! いつになったらドアを開けっ放しで寝られるの? 私たちの家は幾つかのドアを付けたのに泥棒に入られましたよ」と私によく尋ねてきたため、私は「すべての人々が道徳を重んじて善行をよく行うようになったとき、平和な世の中になりますよ」と、いつも励ましました。 

  私は朝食で残った蒸しパンを2回も持って帰って隣近所にあげました。同僚たちもいつもこのように包んで持って帰りました。大法に照らしてみると、すぐ過ちだったことに気付きました。これはちょっとした得を得ようとしたのではありませんか? 私はクラス会で子供達に過ちを認めて、謝り、その場で現金を返してクラスの雑費に充填しました。ときには、自腹で公用の箒などを買いました。

  私は保護者からの贈り物を受け取らず、贈ってきた品物をほとんど送り返しました。しかも、保護者たちに私は大法弟子ですので、受け取ることができないことを告げました。保護者からの食事のもてなしも断り、こちらから頼みごとをするようなことはさらにありません。どうしても断れないときは、品物を市場価格に換算し、本を買って生徒に与え、誰々の保護者からクラスの「小図書室」に寄付したと説明すると、だんだんと保護者たちも分かってきました。謝礼を贈ることがなくなり、自分の子が無視される心配もなくなりました。保護者たちは今度こそ、いい先生に出会ったので、転学や騒動・クレームなどもしないと言いました。

  歳月が静かに流れて、子供たちは物事をわきまえるようになり、盗みを止めました。

  結局、あの2本のソーセージはクラス委員が食堂に返しました。

 (続く)

 (明慧ネット第六回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

  2009年11月15日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/11/7/211999.html

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