■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/11/16/mh170371.html 



私たちは本当に「師を尊敬し、法を尊敬する」ことができているか

文/中国四川省の大法弟子

(明慧日本)最近二つのことに出遭い、この文章を書いて、同修と交流しようと思いました。不適切なところがありましたら、同修らの慈悲なるご指摘をお願いします。

 10月下旬に私は邪党に迫害されて、労働教養を受けて帰宅したばかりのある年配の同修を見舞いに行きました。私は主に彼が最近の師父の説法と新しい経文、及び『明慧週間』を持っているか(読めるようになっているか)を確認しに行きました。彼はすべて持っているが、ただ少し遅れてもらっているといいました。同時に彼はよその同修から新しい経文を一冊もらったといいながら、カウンターと壁の間の隙間のところから新しい経文を取り出しました。経文を目にしたとき、私は来た時の嬉しい心が一瞬にして消えました。同時に忍びがたい辛さを感じました。それは、もらって1カ月ちょっとですが黄金色の経文の表紙には油汚れと、壁に塗った白い塗料がいっぱいついていて、また表紙は2カ所擦れて破れていました。(この経文はとても良く作られていて、出版社で作ったものに相当していました)

 私は同修とこの件について交流しました。私は、師父は私たちに「法を師としてください」と説かれました。これは師父が説かれた法で、私たちの修煉を指導する大法なのに、あなたはどうしてこんな方法で隠しているのですか? もし、師父がここにいらっしゃるなら、あなたはどのようにいい訳をするのですか? 昔の修煉者は経文を神棚に供えて、学ぶ前には手を洗い、香を焚いてから、法を取り出し、座禅してから、心を清め、学法を始めたといいます。私たちの師父は古人がするようにと私たちに要求しておられませんが、師父も数回私たちに師を尊敬し、法を尊敬する法理について説かれました。師父は説法中、同修からの質問に回答される際に、天上の佛、道、神はみな跪いて法を聞くと説かれなかったでしょうか? 私たちがどうするかを、師父や、或いは同修らに言われるべきことでしょうか? もちろん、一部の同修は家庭の修煉環境があまりよくないことは私も知っています。しかし、清潔なところを探して法を納めることは何とかできるでしょうというと、同修もこのようにすることは良くないと認め、今後はこうしないと言いました。

 今年7月ころ、私はある年配の同修の家に行きました。彼は私に次のことを聞かせてくれました。ある女性の同修が彼に『転法輪』を1冊持ってきて、彼に処理してほしいと言いました。その『転法輪』は溝の傍にある石板の下に隠していたため、深刻に湿ってカビが生えており、一部は開くことが出来ず、脱字したところもありました。年配の同修はちょうどひっくり返して日に当てていました。彼は私にどうすればよいかと聞きました。私は、すでにもとの姿がなくなっているので、日に当てて干してから焼くしかないと答えました。私は師父の「常人社会でのこの火は神を燃やすことは永遠にできない」(『シンガポールでの説法』)に基づいてそう答えました。私はこの法は誰が見てもマイナスの影響しか与えないと思っていました。年配の同修は私の提案を受け入れてくれました。

 上記の二つのことから、私は現在一部の同修が常にいろいろな邪魔を受けていて、みな内に向けて探し、何が良くできてないか探していることは正しいことで、同時に正念を発して旧勢力の迫害を否定することもやっています。しかし、私が思うには、みな師を尊敬し、法を尊敬しているかどうか、何か漏れはないかを見るべきだと思います。各層の空間の護法の神とその他の正神らは師を尊敬し、法を尊敬することをとても厳しく要求しています。私たちの行いが十分良くできていないとき、彼らは私たちの修煉に障碍を作ります。邪悪な旧勢力は私たちが十分良くできないとき、或いは師を尊敬せず、或いは法を尊敬しないとき、迫害する取っかかりを見つけて、人間のくずに指図して私たちを迫害します。

 『明慧週間』にはこの前、ある同修が学法をするとき、水を飲んだが、ほかの同修がこれは師を尊敬し、法を尊敬することが足りない現われだと指摘してくれたという文章がありました。同時に師父は私たちに説法されるとき、数時間も水を飲まれなかったという例も挙げられていました。同修は直ちに認識し、その後、学法するときには水を飲まなかったといいます。師父は何回も現在邪悪な要素はとても少なくなっていると説かれましたが、一部の同修はかえって繰り返して邪魔をされ、迫害されています。私が思うには私たちは必ず、真剣に、私たちが師を尊敬し、法を尊敬する方面で漏れがないか考えてみるべきだと思います。

  師父に合掌いたします

  同修に合掌いたします

  2009年11月16日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/11/12/212401p.html

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