真善忍が子ども達の心を変える(三) 文/中国湖北省の大法弟子
(明慧日本)
班長の玉さん
私がクラス担任を引き受けた当時、クラスごとに朝食をもらってきていました。デザートのケーキが二つ足りず、運搬当番の生徒がおそらく盗んで食べたと思いました。そのとき、女子生徒の玉さんが自ら自分のケーキを譲り、私は彼女を褒めてあげました。彼女は他の子より思いやりがある子どもです。父親は建築現場の責任者で、仕事を求めて地方から引っ越して来ました。玉さんは確かに我慢ができ、自身を律することもできるため、学友達にクラスの班長に推薦されました。班長になってから、よく職責を果たし、部員の委員達を率いて私をよく助けてくれました。
週末になると、クラスの班長らは残って会議を開きました。私は班長らを選ぶときに、徳を重視しました。成績と仕事の能力を重視しませんでした。私は班長らの教育に非常に注意を払いました。会議をする度に、いつも先に話題に合う古代の役人や皇帝の物語を話しました。例えば、善に従うことが流れの如き唐の太宗、正気浩然(ひろびろとして大きい様子)としていた文天祥(人の名前)、誠忠報国(まごころがこもっていて、国の恩にむくいること)の岳飛、愛兵は子の如き李広など。私は子供たちが問題に遭ったら、自分の非を探してから問題の解決に向かうように、当然ながら、自分の非が見つかれば、問題も解決すると教えました。
私は班長の生徒達に対して、理をもって相手を従わせ、情をもって相手を感動させ、規律で相手を管理するようにさせ、叩いたり罵ったりしてはいけないと要求しました。また、生徒達に教科書の文章を罰として書き写させたり、強制的に掃除をさせたりしないように言いました。そうでないと、生徒達に勉強と労働を嫌悪させてしまい、学ぶことや働くことに良くない考えが生まれてきます。私達が罰を与えるには一定の技巧レベルが必要で、罰を受ける生徒を過ちに気付かせると共に、同時に他の生徒にも警告をしなければなりません。これはとても高い要求だと思います。班長らは規律に違反した生徒に、出来事に関連性ある教育意義のある小物語や見聞と名人の名言を言わせ、それから、皆で検討し、是非を明白にしていきました。
班長らは位に執着することなく、仕事の能力によって下りるかどうかは、私が決めました。ある年、クラスの全生徒が1日毎に順番に班長になり、1人ずつに鍛えるチャンスを与え、班長の仕事の難しさや辛さも体験させました。
瓜を植えれば瓜を得、豆を植えれば豆を得るように、班長らは私の望むように成長してきて、志や徳と才も兼備することができました。彼ら自身の人間的な素質も高くなり、心が広くなり、物事に対する配慮ができ、責任感も強くなり、忍耐強く仕事に柔軟性を持つようになり、よく頭を使い勉強の成績の向上も早いのです。担任として1年を過ぎてから、教師としての仕事は楽になりました。班長の委員達にクラスの秩序をよく管理してもらって、生徒達もよい習慣を養うようになりました。
班長の玉さんは協調力が高く、生徒からの信頼も厚いのです。学校が催した活動で班長の玉さんは、いつもクラスを率いて1位を取りました。しかし、小学生の彼女に不幸が訪れました。彼女の父親は母親を捨て愛人を作りました。母親を千キロも離れた里に帰らせ、兄と2人をここで勉強させるように残しました。父親がバス代をくれないので、毎日10数キロも歩いて学校に通いました。建築現場で労働者達と毎日一緒に食事をとり、唯一の娯楽であるテレビも父親の愛人に取られてしまいました。
私は娘を学校での早朝の自習に送った後、常にバイクで玉さんを学校に連れて行き、放課後また家まで送ってあげました。玉さんに建築現場の労働者の遊びについて行かないように注意し、学校が休みのとき、自宅にいるか私の家に泊まらせました。よく私の家に来てくれて、自分の娘のように接しました。
玉さんは母親に会いたがり、母親はわが子に会いに来ましたが、リューマチが再発し、治療費もありません。母親は字が読めず、標準語も話せず、仕事を見つけることができません。玉さんは父親と父親の愛人を憎んでいました。愛人は毎日マージャンの店、歌やダンスホール、美容院に通い詰め、上下一着の衣服は数百元もかかり、浪費生活しながら、玉さんと兄さんと母親は乞食のような生活を強いられていました。しかも、この愛人の教唆の下で、父親はますます悪くなる一方で、父親の心を誰も取り戻すことができませんでした。伯父は玉さんの父親を叩いたりして、愛人との関係を断ち切って家族を大事にするように説得しましたが、聞き入れません。玉さんは作文の中で「?」「!」を無数に書いており、強い憎しみで父親と愛人に復讐しようとしていました。
私はとても玉さんに同情しています。しかし、現在の中国では、このような出来事は当たり前で、人の道徳がここまできたことが分かります。唯一救い出せそうな玉さんが、こんな下品な事に付きまとわれないように正しい道に導く必要がありました。私はよく授業の休みに彼女と交流し、巨大な困難から抜け出せるように助けました。玉さんに大法の真相を教え、方言で母親に「真・善・忍こそがこの世界を救うことができる」と彼女に教えさせました。彼女に中国共産党の邪悪さを教え、父親も共産党の被害者で、悪いことをしており、必ず報いがくると教えました。父親と愛人たちを苦しみに追い込む必要はなく、自身が善良と正義を求めることで、きっとよい結果が出ること、辛さが良い結果になり、大事をやり遂げる人はまず試練を乗り越えないといけない、と話しました。
玉さんは私に、善悪には報いがあることを信じていると話しました。彼女の従兄が18歳ぐらいのとき、盗みを働き、車から飛び降りて車の下敷きになって亡くなりました。彼女が中学生になって、実家のある学校に転校した後、私に電話をかけてきてくれました。玉さんはきっと良い人間になると信じています。
(続く)
(明慧ネット第六回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
2009年11月16日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/11/7/211999.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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