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中国本土の修煉者による法会の文章を読んだ感想


文/中国浙江省の大法弟子

(明慧日本)私は先日、中国本土の大法弟子による第6回目の法会の修煉体験を明慧ネットで拝見しました。私は1997年に大法の修煉を始めましたが、明慧ネットを見たことがありませんでした。私の家にパソコンはあるものの、どんな手段を使っても明慧ネットに入れなかったからです。今回は初めて見ることができ、私は今まで見逃してきたことをとても残念に思いました。

 1999年「7.20」以降、私は同修と連絡が途絶えてしまいました。私が住んでいる地区には、迫害されることを恐れる心を持つ同修が多く、皆で連絡を取り合おうともしません。迫害の真相資料を皆で作る場所も当然ないので、私は孤独を感じていました。そして2009年9月末、私はようやく明慧ネットを見ることができました。明慧ネットに掲載されているものは、私にとって全てが新鮮であり、1度読んだだけでは物足りなさを感じる程でした。特に師父の説法は、何度も繰り返し読みたいと思いました。

 同修の修練体験を拝見して、同修は大法のためにたくさんのことを行っており、精神面の負担を背負っているだけでなく、心身の全てを大法に溶け込ませ、精進していることを知りました。それと比べて、私は正法期間に使われる用語ですら理解できません。例えば、「610弁公室」は何を指しているのか、「旧勢力」とは何なのかなどです。普段、私は『転法輪』を読んでいますが、正法期間の出来事はあまり知りません。私は今までの自分をとても残念に思うと同時に、焦りも感じて落ち込みました。一刻も早く私が住んでいるこの地区に皆で学法ができ、交流し合える環境をつくり、そして、必ず「正法時期」の修煉とは何かを悟り、同修と共に精進し、正しい道を歩んでいきたいと思っていました。

 以前、師父が夢の中で私のために啓示して下さいました。私は何人かと船に乗るため埠頭に行きました。行ってみると、船はすでに出発してしまったため、次の船を待つことにしました。待っている間、川の水がとてもキレイだったので手を洗いました。夢が覚めた後、私は師父が啓示して下さったのだと悟りました。他の人は船に乗って行ったけれど、私はまだ埠頭で次の船を待っている、これは私が取り残されたことを意味しています。手を洗うことは、私に早く精進するよう啓示しているのではありませんか?

 師父は説法で大法弟子は三つのことをしっかり行うべきだとおっしゃいました。私は毎日、学法、煉功、発正念をしており、迫害の真相を伝えることはあまりできていません。時々知り合いに真相を伝えていますが、中にはテレビをあまり見ないので、天安門の偽焼身自殺事件を知らない人もいます。

 また、師父は説法で衆生を救い済度することを優先するようにおっしゃいました。私が住んでいる地区の多くの人は迫害の真相を知りません。私たちは真相を知らない衆生を救い、正法のことを行わなければなりません。

 悟りの次元に、不十分があると思います。どうぞご指摘ください。

 2009年11月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/11/212421.html

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