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内モンゴルの法輪功修煉者・李玉蘭さんは秘密裏に判決を下される

(明慧日本)内モンゴルの法輪功修煉者・李玉蘭さんは、迫害により数年にわたって路頭に迷うしかない生活を送っていた。2007年7月ごろ、連行されてから1年後、李さんの家族に向かって行方不明中の李さんが6年の懲役刑を下され、吉林市女子刑務所に拘禁されていることを知らされた。

 内モンゴル出身の李玉蘭さん(50歳女性)は、1997年に法輪功を始めてから、正直で誠実な良い人になったと周りの人々に知られていた。法輪功の迫害が始まってからも、李さんは変わらず「真・善・忍」をもとに自己を律して、真相を伝え、良い人を目指したが、地元の警官からの迫害が絶えなかった。迫害から逃れるため故郷を離れ、数年間路頭に迷っていたため、親孝行やまだ幼い子どもの面倒を見ることができなかった。

 1999年7月に法輪功が迫害されて以来、多くの迫害を受けてきた。2000年10月中旬、内モンゴル赤峰市左旗公安局は迫害の指示の下、約20人の警官を動員し、李さんの家に不法侵入して家の中を荒らし、法輪功の書籍なども没収した。李さんは左旗刑務所、右旗刑務所など数箇所の施設にわたって拘禁された。

 李さんは赤峰園林路拘留場で何度も迫害に遭った。片手を暖房の管に縛られ、つま先だけが暖房の下の管にあたるように立たせられたままで7時間も吊らされていた。8日間にわたってこの迫害を受け、さらにスタンガンを使った電撃の拷問も受けた。この間、彼女は警官からの暴行に対して指摘すると、警官は彼女を宙に吊り上げ、全体重を片手に負わせて苦しめた。

 8ヵ月後、さらに3年間の不法な判決を受けて興安盟図牧吉労働教養女子隊へ送られた。そこで、警官は彼女とほかの法輪功修煉者に法輪功を貶す資料や書籍の内容を覚えさせたほか、1日に10時間以上に及ぶ苦役を課した。

 2003年9月、李さんは再度連行され、赤峰の洗脳班(思想改造施設)で迫害を受けた。

 2005年12月6日、李さんは職場で再度連行された。同日に数人の法輪功修煉者も連行されたという。拘禁期間中、李さんは何度も尋問を受け、警官はそれを利用して内容を不実に捏造した。さらに、その内容を彼女に保証させるよう刀を持った警官が脅しながら、手を抑えられて捺印を押すよう強制したがそれに応じなかったため、李さんを警官室に押し込み、床に伏せさせ、数人の警官が足で彼女の頭や背中や手足など数箇所を力強く踏み、捺印を押すよう強制した。

 李さんは断食で迫害を抗議し始めた。その2日後、医者の王吉拉と数十人の警官は、彼女に強制的に灌食をしたうえ、不明な薬物も注入した。拘禁されてから10日後、王吉拉らは、再び李さんに強制的に灌食し、不明な点滴も注入した。この行為は栄養補充として行われたが、実際に注ぎ込まれた物に中枢神経を破壊する薬物が含まれていたという。

 その後、不明な薬物を注入されたために李さんは、顔や口や舌が麻痺してよだれが垂れ、話すことさえ困難になり、めまいや頭痛、意識が朦朧とするなどの中毒症状も現れてきた。

 拘禁されて12日目、衰弱して非常に危険な状態に陥ったため巴林左旗病院へ搬送された。病院の1階から3階に上る際、警官に支えられた彼女の腕、腰、肋骨からこつこつと硬直したものが動く時の音がした。病院で、李さんは周りにいた人に拘留場で王吉拉らに不明な薬物を注入されたことを暴露した。警官は病院側に、李さんに不明な薬物を注入するよう指示し、責任から逃れようとした。それとともに、「これを注入して言うことを聞かせるのだ」と言って威張った警官は、李さんにさらに2本の点滴をさせた。そして、点滴が完全になくなると警官らはその場を去ったという。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2009年11月18日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/13/212539.html

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