■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/11/18/mh193852.html 



90歳のある老人の修煉物語(二)

文/中国河北省の大法弟子

(明慧日本)

  三、真相を伝え衆生を救う

 迫害が始まったころ、集団で法を勉強する環境がなくなりました。私の知り合いの同修たちは捕まえられたり、恐怖心で家にこもったりしていました。私は自分の法の勉強や煉功を緩めず、しかも毎日外に出て法輪功が迫害されている真相を伝えに行きました。当時はまだ真相資料がなく、作り方も分かりませんでした。外で人に出会ったら「法輪大法は素晴らしい」と教え、天安門焼身自殺はでっちあげの偽事件だと説明しました。私はずっとこのままではいけないと悟りました。

  同修達と必ず連絡をとらなければなりません。でなければ、師父の新しい経文が発表されても分からないので、これではいけません。ある日、私はある団地に、以前知り合った同修を探しに行きたかったのですが、彼女の正確な住所がわかりませんでした。師父が助けてくださると信じて行ってみたら、道で同修と出会いました。同修は元々夫と一緒でしたが、夫が他の道を通りたくて、同修はこの道を通りたいので別々に歩いていました。これは師父の按排ではありませんか! 当時の私は感激して師父に感謝し、もっとしっかりと修煉し三つのことをよく行っていくことで、師父のご恩に報いたいと決心しました。

 それから、私はすぐ師父の新経文を手に入れるようになっただけではなく、『明慧週刊』及び各種の資料も手に入れることができました。私は現地の同修に溶け込んで、同修のために発正念をしました。同修を救い出すため、真相資料を貼りに出て、大法のためになることなら、私は積極的に参加し、自分が年寄りであることを口実にしませんでした。しかも、もし同修の修煉状態が良くないときや状況が厳しいとき、資料を配ることができず、家に保存することもできないとき、甚だしきに至っては大法の書籍も手元に置くことができず没収されると思われるとき、全部私の家に持ってきて保管してあげ、嫌とも言わず、大法の書籍を大事に保管し、資料を全部配り、衆生を救い済度することを遅らせてはいけないと思いました。

  あるとき、一度に数百枚の真相資料を配り、あるときは、若者でも疲れるほど大きな荷物を抱えて安全なところに隠しました。その後、だんだんと環境が良くなり、私の家で法を学ぶ勉強グループを立ち上げました。私は大法を修煉してから、師父は80歳のお婆さんになった私の身体を浄化して下さり、とても健康な身体になりました。ほかに恩を返すこともできず、1人で生活しているため不便なこともなく、皆の修煉に役立つならと思い、家を提供することにしました。私たちの勉強グループに資料が来たら、同修に分けてあげました。捕まえられた同修から情報を得た警官が2回ほど脅しに来ましたが、私は警官の迫害に負けず、恐怖心もないので、警官が来ても私は玄関口に立ち塞がって入らせませんでした。

 私は資料を配るとき正々堂々と、ときには顔を合わせながら配りました。どのような状況に出くわしても、心が動じず、恐れませんでした。私は師父が私の傍で見守っていてくださっていることや、大法の威力を堅く信じています。数年の資料配りの中で、さまざまな人と出会ったことがありました。ある人は、かんしゃくを起こして大声で怒鳴ったり、またある人は叩こうとしたり、罵ろうとしたり、警察に通報しようとしました。私は微笑みながら

 彼らが激情を発散し終わるのを待ち、その場を離れませんでした。もし続けて真相説明ができれば話し続けますが、できなければ去りました。多くのときに、私は恐怖心がなかったため、邪悪に迫害する口実の隙を与えることなく、いつも安全に立ち去ることができました。また、週末になると、私は時々娘の家を訪ねに行きます。娘婿が局クラスの幹部で、その地区は警備が厳重で、そこに資料を配りに行く人はほとんどいません。私は行くたびに、家にある資料を全部持って行って配りました。そこに住んでいる局長や課長や多くの高官らは私が法輪功を習っていることを知っていますが、私は堂々と彼らに法輪功が迫害されている真相を伝えました。

 『各地での説法ニ・二〇〇二年ボストン法会での説法』の中で、「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをする時の心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです」と師父が私達に教えてくださったとおりです。例えば、今年7月、共産党に不法に連行された同修を救うため、同修が私にこの邪悪を暴露するための大きな真相シールをくれました。午後4時ごろ、会社員の帰宅ラッシュが始まるのを狙って、私は外に貼りにいきました。貼るとき、私はいつも人が集まる場所を探し、よく見えるところに貼るようにしていました。出かける前、いつも家で正念を発してから、シールが剥がれやすいようにシールの角を少し折りたたんで出かけました。私は心の中で人を救うことができるように、早く貼らないといけないと考え、貼る場所を定め、シールを取り出して角から剥がそうとしました。しかし、どうしても剥がすことができず、下に置いて新たに1枚を取り出して剥がそうとしましたが、やはり剥がすことができず、それでも私はまだ原因を悟れませんでした。

  後になって、それは師父の私への啓示であることに気付きました。このとき、巡回している警官が私を尾行しており、すぐ私の後ろまで来ていましたが、私は全然気付かず、後ろから「何をしているんだ」という声を聞いた私は、ちょうどシールの紙をはがせたので、後ろを振り向かず貼りながら「人を済度しています」と答えました。もう1枚も剥がせたので続いて貼っていきました。このとき、後ろから人が手を伸ばして剥がそうとするので、私は阻止しようとして、やっと警官だったことに気付きました。振り向いてみるとパトカーがすぐ後ろに止まっており、横にもう2人の警官がいました。

 私は「あなた達はいいところに来ました。内容をよく見てください!」と言って彼らに剥がさないように頼んだのですが、結局2枚のシールとも剥がされました。警官たちは「これが私達の仕事で、これで生活しているので仕方がない」と弁解しました。私は彼らに「法輪大法は素晴らしい」と教えてあげ、ここでだめなら他の場所で貼ると言い残し、前へと進みました。警官らは乗車して尾行してきましたが、私は構わず、人を済度することが大事だと考え、残りの4枚のシールを貼る場所を決めて、2枚を貼り付けました。警官らは車から下りてきて剥がそうとしましたが、私は断固として阻止し、再び「これは人を救うためのものです」と教え、「剥がしてはなりません」と言いました。「あなたたちはここがだめ、そこがだめと言っていますが、いったいどこなら良いのですか?」と厳しく問い詰めました。すると、中の1人の警官が「政府ビルに貼りに行ってください」と言い出しました。政府ビルはどこにあるのか分からないので、師父のご加護を求め、警官に剥がされないようにと願うと、彼らは剥がすことなくパトカーに乗って去っていきました。

 私は前を向いて歩き、残りの2枚を貼ろうとしました。1枚を貼り終えて、最後の1枚を貼ろうとしたとき、パトカーが一周回って戻ってきました。1人の警官が近寄ってきて「貼らないように言ったのに、また貼ろうとしている」と不満そうに言いました。私が「あと1枚だけです、ここに貼ります」と答えると、「では高いところに貼って」と警官が言いました。届かないと言うと、警官は「手伝ってあげるよ」と言って、シールを取ってきて壁の下の方に貼りました。「ここに貼ったら見えません。どうやって人を済度できますか」と私は言いながら、剥がして人がよく見える場所に貼りました。貼り終わって私が立ち去ると、警官はまた私の後ろについてきて問いかけてきました。「まだありますか?」と言うので、私は「もうないですよ」と言って帰りました。警官たちも戻りました。

 帰宅後、今日の出来事はとても不思議だと思いました。わたしは再度大法の威力を感じさせられました。警官の監督下で私は6枚の真相シールを貼り終えたのです。師父が『各地での説法・2002年米国フィラデルフィア法会での説法』の中で、「旧勢力が存在していますが、皆さんにその心がなければ、旧勢力も為す術はありません。正念が十分であれば、旧勢力もどうしようもありません」と述べられています。本当にその通りでした。師父がすぐそばにいらっしゃることをはっきりと分かっており、怖がる必要があるでしょうか? 真相のシールを貼りに出る度に、私はいつも午後4、5時の帰宅ラッシュの時間帯を選んで出かけます。多くの通行人がシールを見られるようにするためでした。人を救うので、人が少ないときでは意味がなく、私は発見されるのを恐れず、人が多ければ多いほうがいいと思っていたからです。不法に逮捕されるなどの概念は、私の考えの中にありませんでした。こんなに素晴らしい大法を修煉することができ、怖がることはありません。私はとっくに生死への執着を捨てました。

 しかし、今日の出来事で自分の内に探してみれば、しっかり行っていないところが結構ありました。警察官たちにしっかりと法輪功が迫害されている真相の説明をしなかったことや、闘争心が出てきたりしていました。慈悲心が足りず、彼らを救うことできず、3枚の真相シールを剥がしたことで彼らに業を作らせてしまいました。とても悲しく感じました。もし、これらの警官に出会ったら必ず真相資料を渡し、法輪功への迫害の実情を伝え、救いたいと決意しました。

 (続く)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

  2009年11月18日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/4/211753.html

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