指摘されたくない頑固な執着を取り除く 文/山東の大法弟子
(明慧日本)先日、明慧ネットを開いて、『マンハッタン説法』を一気に2回読みました。たくさんの内容が私に向けて書かれているようで、私は内に向かって、自分がなぜ人から何か言われると爆発するのかを探しました。「人に言われてはいけないことは異なる執着から由来しています」と師父は教えてくださいました。私が言われたくないことは一体何に由来しているのかをさぐり続けて、やっと自分に執着していることを見つけました。
自分に執着することはいろいろな所、例えば仕事場や家庭などで現れます。家に例えれば、そのことを彼に任せて大丈夫だろうかとよく心配して、何でも自分がやらないと安心できません。やはり自分の方法がいいと思います。そのため夫は「相談する必要があるのか、どうせ最後はあなたが思うようにやっているではないか」とよく言います。これから見ると、私は確かに自分に執着して、他人の意見をあまり考えていません。
特に、子供と交流する時、この執着心は明らかです。子供に指摘されたら、よく「私はあなたのお母さんで、経験もあなたより豊かですよ」と話してお茶を濁します。心性をよく守れない時、表情と口調も良くないのです。もし、その時に子供に指摘されたら、本当に爆発するのです。それで、子供は時々わかったふりをしても、実は私が内に向かわないので納得しませんでした。
私は企業の財務を管理しています。上司に帳簿をこうつけるべきだと言われれば、「あなたは財務について分からないし、何かあったら私が責任を取らなければならないのに、どうしで私があなたに従わないといけないのか」と思い、従いたくないのでした。そして、人間関係もうまくいきませんでした。もし、私が執着を放下できれば、上司に財務の法律と制度を冷静に説明して、利害関係について分析すれば理解されたかもしれません。問題もうまく解決できます。本当に彼のために考えれば、彼はきっと感じると思います。そして、真相を聞く時に理解し易くなるかもしれません。
「長い間養われた習慣ですが、この習慣は異なる執着から由来するものです。面子に対する執着があり、人に言われて気を悪くするのであれば、言われてはいけないという心が触れられてしまいます。また、自分がプロジェクトの責任者だから、人に言われてはいけないと思っています。ある分野が得意なので、言われてはいけないという人もいれば、相手を良く思っていないから言われてはいけない人もおり、などなど様々な理由があります」。(『マンハッタン説法』) この法に照らしてみると、私は確かに「相手を良く思っていないから言われたくない」という執着心があります。
ある同修はよく私と交流しています。しかし、彼女の話は回りくどく、時間を無駄に費やすだけだと考えていたので、彼女と会いたくなかったこともあります。この考えがあると、ますます彼女の話を聞きたくなくなり、まるで地雷のように触れると爆発します。当時、私は資料拠点で法輪功が迫害されている真相資料を作っていました。彼女は参加していないので分からず、私の方法は間違っていないと思い、彼女に言われたくありませんでした。自分に執着する心がかなり強かったのです。それから間もなく資料拠点は破壊されてしまいました。
師父は『ロサンゼルス市法会での説法』の中で次のように説かれました。「しかし、形成した習慣を改めなければならず、必ずそうすべきです。くれぐれも気をつけてください。これから、人から言われたくない人は、つまり精進していない人です。人から指摘されたくない人は、その人が表しているのは修煉者の状態ではありません。少なくとも、この点に関してこのように言えます。(拍手) この関をこれから乗り越えられない人がいれば、皆さんに教えますが、それは大変危険なのです!」 私はきちんと学んでおらず、しっかり修煉していなかったのです。もう4年過ぎましたが、指摘されると爆発するという執着心をまだ取り除いていないのです。今から、精進し修煉して、これらのよくない執着心を取り除きます。
個人の悟りなので、同修の慈悲なる指摘をお願いします。
2009年11月20日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/17/212762.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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