■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/11/20/mh215927.html 



正法の過程を重視し、正法時期の大法弟子になる(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)慈悲で偉大なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は「正法時期の大法弟子」という偉大な称号を思い出すたび、大変な名誉であることを深く感じると同時に、自分の修煉があまりよくできていないため、偉大な称号に適していないのではないかと恐れていました。そこで、私は恐れを精進する原動力に変え、師父の慈悲なる済度に対して恥じない修煉をして、そして衆生の期待に裏切らないようにしようと思いました。このたび、中国の大法弟子の明慧ネットでの交流会に際して、私も「師と法を信じること」および「大法を実証すること」この2点について、私のこの3年来の修煉体験をまとめ、同修の皆さんと交流したいと思います。法に適していないところがあれば、慈悲をもってご指摘して下さいますようお願いします。

 一、師父と大法を固く信じ、苦しい環境から脱出し、新しい人生を得る

 2006年3月、息子が難病にかかり、現代医学では治療できないという苦悩の中で、私は偶然にも『転法輪』という一冊の本に出会いました。その本はある大法弟子が持って来てくれました。そのときの私は悟性が悪く、また長期にわたって共産党文化の中で育てられ、世俗に深く迷い込んだこともあり、息子に『転法輪』を読み聞かせているにもかかわらず、治療をさせながら薬を飲ませていました。

 約2ヶ月後の5月1日、ある同修が私の家に来て丁寧に法輪功について説明し、私たち親子に煉功を教えてくれました。私たちは同修のこの慈悲なる行動に感激し、法輪功を修煉することに決めました。

 数日前に病院でもらった7百元相当の薬、煎じた薬などすべてをごみ箱に捨てました。その日から、私は息子と一緒に毎日欠かさず煉功を続けていました。

 数日後、師父が息子に業力の浄化を始めてくださいました。その状況はとても凄まじく、息子のすべての関節が腫れ上がり、我慢できないほどの激痛が走り、2日後には食事が取れなくなり、身体の状態がますます悪化していきました。もともと元気ではなかった息子の身体は、目に見えるほどに痩せていきました。

 このような状況下で、家族は私たち親子が法輪功を修煉していることを知ることになるのですが、家族は法輪功について中国共産党のでっちあげた宣伝に害され、舅、姑、義理の兄、義理の姉が実家の両親に呼びかけ、私たち親子の修煉を止めさせようとし、息子に薬を飲まさせ、病院へ治療に連れて行くよう命じ、そうしなければ公安局に法輪功を修煉していることを告発するというのです。

 半月足らずしか修煉していない私は、天が落ちてきたような圧力を感じました。私はショックで夜も眠れなくなり、『転法輪』を繰り返し読んでいました。法を読んでいるうちに、息子の身に現われた状況のすべては業力浄化のための難儀であり、そうであって欲しいと願っていました。しかし、9歳の息子は食べず飲まずの日々が20日間以上続き、体重は14キロまで痩せこけました。全身の骨が突き出し、激痛で1日中泣き叫んでいました。私の心は刻々と緊張し始め、そろそろ耐え切れなくなったある日、私は子供を抱き心の中で法を念じながら、思わず涙を流していました。そして、知らず知らずのうちに寝てしまい、私は夢を見ました。

 「子供の業力を浄化に来ました」と声がして、大きな手が子供に向けて差し伸べられ、右腕の上腕部から下まで火炎を噴き出し、火が消えたところで私は目が醒めました。不思議なことに息子の右腕の痛みが消え、腕が動くようになったのです。これで私はすべてが分かり、息子の身体に現れている病気の状況は、師父が浄化してくださっている証であることを確信し、何の危険も起こらないことを確信しました。

 宙にぶら下がっていた心は落ち着きを取り戻し、法を信じる固い信念も生まれました。そこで、私たち親子はすべてを師父に預け、最後の最後まで修煉し続けることを決心しました。

 息子はもしかすると根気がよく、修煉の縁があったにもかかわらず、修煉を始めたのが遅すぎたため今の状態になったのだと思いました。1ヶ月経ったころから息子は少し食事を取れるようになり、右腕は動くのですが、全身の関節の激痛は依然として続いていましたが、私たち親子の大法に対する信念は揺るがなかったのです。特に、息子は9歳という年齢で悟性がとても良く、どんなに痛くても法を学び煉功し続け、1度も薬を飲みたいと言ったことはなかったのです。

 1年後、息子の身体は明らかに快復に向かい、2008年8月ごろ、ほぼ健康を取り戻したのです。息子の業力浄化は2年あまり続きました。事後、同修たちとこのことについて交流しました。同修は、2年あまりの業力浄化は師と法に対する固い信念で信じきることができなければ、乗り越えることはできなかったでしょうと言いました。

 同修が話したことに同感しますが、やはり大法の限りのない威力、師父の広大な慈悲のによる結果であり、地元の大法弟子の絶えまない正念の加持と無私無我の手助けによる結果だと思います。

 ここで、明慧ネットを通して、慈悲で偉大なる師父に真摯で最も崇高な感謝を表すとともに、同修の皆さんに感謝したいと思います。今になって思い返せば、私たち親子は病気を治療する執着心を完全に放下できなかったこと、少なからず病気の治療を求める汚い心が業力浄化の時間を引き延ばしてしまいました。そのため、正法の時間を失ってしまい、衆生が救われるチャンスを失ってしまいました。そして、自分が多くの苦痛に耐えなければなりませんでした。

 今になってこのこと思い返せば、恥ずかしい思いがします。師父と大法が私の息子に新しい生命を与えてくださり、魔難から立ち直らせてくださり、修煉して返本帰真の道に導いてくださり、今生師父の弟子になれたことは大変光栄なことなのです。ですから、大法の福音を世の衆生に届けることに決めました。そして私たち親子は法を実証する隊列に加わったのです。

 二、家庭を円融しながら仕事をきちんとこなし、そして大法を実証する

 1、家庭を円融する

 法を学ぶにつれ、法理に対する理解を深め、私たち親子は修煉者であることを自覚し、自らの行動を法に照らしながら厳しく律しました。何事も人のことを先に考えるようにし、トラブルに遭ったときは内に向けて探していました。私たち親子の大きな変化を見た舅、姑、義理の兄、義理の姉、実家の両親、親戚たちは、大法の崇高なる境地を感じとることができ、自ずと大法を理解するようになり、皆が自ら「三退」しました。その当時、私たち親子の修煉を最も反対していた姑、義理の姉は、その後『転法輪』を読み始め、中国共産党と決別し、それから修煉の道を歩き始め、精進しています。

 舅は、半世紀以上にわたり共産党に尽くしてきた共産党員です。脱党について何度話しても聞く耳を持たなかったのです。しかし、その舅が9歳の孫の身に起きた奇跡に感化され、自ら脱党声明を書き共産党との未練を断ち切り、法輪大法を固く信じるとの強い意志を書きました。そして、舅は私たちが真相を伝えることを手伝っています。

 今、わが親戚一同は師父の広大な慈悲に守られ、とても幸せを感じています。まさに「佛光普く照らせば、礼儀は園明となる」(『転法輪』)なのです。

 2、田舎へ福音を伝え、至るところで奇跡が起こる

 大法を修煉して1年が経った頃、息子の業力浄化は完全に終わったわけではないのですが、師父が大法を伝え、法を正す偉大な意義を理解できるようになりました。そして、私は全身全霊をかけて正法の大きな流れに身を投じました。

 私は月曜日から金曜日まで法を暗記し、1時間ごとに正念を発し、土、日になると家族3人でバイクに乗って遠い田舎へ真相資料を配りに行きました。そして、数えきれない奇跡が起き、師父がいつも私のそばで加護してくださっていることを感じました。

 あるとき、私はバックいっぱいのDVDとシールつきの真相資料を持って、一人で路地の奥へ配りに行き、主人と息子はバイクに乗って表の道に沿って配っていました。私は配り終えて主人の携帯電話に電話をかけましたが、繋がりませんでした。主人は携帯電話の電源を切ったのか、または電池が切れたと思いました。私は心の中で「師父、日が暮れ始めました。そろそろ家に帰らなければなりません。だから主人に私の携帯電話に電話をするようにお願いします」と師父にお願いしました。すると、主人からすぐ電話がかかってきたのです。

 またある日、電動バイクで遠い田舎へ真相資料を配りに行きました。配っている途中でバイクの電気が切れました。遠い道のりを帰らなければなりません。どうすればよいのかと途方にくれ、主人はバイクを押しながら歩き、私と息子は資料を配りながら歩いていました。50メートル歩いたところの道端に、はっきりと見える電気の差込口が準備されていました。主人が試しにバイクの充電器を差し込んで見ると、なんと充電し始めたではありませんか。私たちは師父が弟子を加護してくださっていることを再び体験しました。このような奇跡は、語りつくせないほどありました。

 (続く)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 2009年11月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/9/211602.html

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