師父と大法を堅く信じ、法を実証する道を正しく歩む(二) 文/湖南省の大法弟子・思運
(明慧日本)
修煉後の大きな変化
修煉する前、社会は自分に対して不公平だと不満に思い、あらゆることが気に入らず、他人も自分も気に入りませんでした。いつも怒りだして食器などを割り、酒を飲んで酔っ払い、絶えずタバコを吸うので咳が絶えず、吸えば吸うほど咳き込んで、何度もやめようとしましたが、いつも数日であきらめました。酒とたばこ以外に、妻に暴力をふるい、妻に対する欲望も強かったのです。いつも人生は短く苦しいと思い、こんなことを続けてはいけないと思いましたが、逆にますます過激になってしまいました。
大法を修煉するからには真に修め、真に師父の話を聞き、心を修め執着心を捨てようと決めました。修煉してまもなく、村の知人のおじさんが亡くなったので手伝いに行きました。終わった後、お礼にタバコをもらいました。家に着いてから1本吸い、残りは机の上に置き、妻に「今からたばこ・酒・ギャンブルなどを一切やめる」と言いました。それから本当にやめることができました。
夫婦の間の欲望は捨てるべきです。私と妻は修煉者ですので、修煉者の基準で自分を律するべきで、純正な身体を維持すべきです。労働教養所で迫害を受け、釈放されたばかりのころ、師父の肖像の前でこれから欲望を捨てますと誓いました。それからベッドにつく前に、色魔と各種の魔の妨害を除去すると発正念をしました。数年来、私たち夫婦は同じベッドで、同じ布団の中で寝ていますが全くそんなことが起きたことはありません。しかし、町で多くの女性が私を誘惑しようとしてきました。
ある日、町で人や車の往来が多いとき、若い女性が私のそばに寄ってきてわざと私にぶつかり、小さい声で「そこで一緒に遊ぼうよ」と言いました。顔をあげると前にホテルがありました。その女性はまだ17歳前後で、私の孫の年齢ぐらいでした。とてもかわいそうに思いました。突然、頭に師父の経文が頭に浮かびました「心を修め、欲を断ち、智慧を明らかにして惑わない」(『精進要旨・堅定」)私はきっぱりとその女性に「ごめんなさい。急いでいます」と言いました。歩きながら内へ向かって探しました。自分はまだ性欲を捨てておらず、歩くときあちこち見ていて、「視ても見ざれば、其の心乱れ難し」(『洪吟・道中』)になっていないので、色魔の妨害を受けたのか、師父からの試練だったのかもしれません。旧勢力が色魔を利用して妨害したにせよ、師父からの試練にせよ、「大法を堅く修めて心動かず」(『洪吟二・真性を見る』)という一つの念しかありません。
修煉してから、悪い癖が直り、身体に大きな変化が起こりました。すべての病気は全快し、歩く時は体がとても軽く、仕事をしても少しも疲れず、寒さや暑さを恐れなくなりました。私が留置場に拘禁さているとき、息子が1万元を使い、ウナギを養殖したのですが失敗しました。土地は荒れ、私と妻が留置場から釈放されたとき、自分の土地で他人が作物を作っていました。この土地を取り戻して、晩稲を植える時、1日中雨が降りやまず、雨の中で植えました。近所の人たちはこれを見て「あの夫婦は法輪功を煉功しているので、雨の中で仕事ができるほど健康になり、雨に打たれても疲れず、風邪をひかないね」と話していました。
近所のおばさんは「彼らは何の病気もない、まして風邪などひかない」と言い、他の人も「こんなに良い功法なのに、なぜ政府は弾圧するのか?」と言って、法輪功がよい功法であることを理解しました。私は修煉してから、病気がなくなっただけでなく、身体が若返りました。30歳の時は60歳のようだと言われていました。今は60歳なのに、50歳過ぎだと言われています。以前、他人が健康な身体を持っているのを羨んでいましたが、今は逆で、他人が私の健康な身体を羨み、法輪功を煉功してよい身体を手に入れたことを知っています。
修煉してから、失わないものは得られずの法理を理解することができ、人になる目的は楽しむことでなく、返本帰真であることを知り、名利心を重く見なくなりました。育てた野菜は毎年良いもので、食べてもあまりました。誰かが食べたければ採ってよいが、売ることはありませんでした。また、みかんの木が数本あり、毎年いっぱい実をつけます。一度も食べたことはなく、すべて近所に差し上げました。他人からは絶対にもらわず、必要なときは購入しました。今はご飯を炊くのはガスか電気を使うようになり、稲わらをすべて燃やしてしまい、ネギを縛るのに必要になりました。他人にもらい、その人はお金を受け取ろうとしなかったのですが、結局5元を渡しました。親戚が野菜などをくれましたが、お金を渡そうとしたら、受け取らないと断られました。私は修煉者なので、他人の物をただでもらってはいけないことを説明しました。
ある春、アブラナの種を9袋収穫し、油を作るために工場に行きました。油の加工を待っている人が多く、私はアブラナの種を工場に置いて帰りました。数日後に工場に行きましたが、自分のアブラナの種が1袋多いことを発見しました。間違っていないかと社長に尋ねましたが、社長は「間違いない、私がすべてそこから持ってきたので、袋も少なくなっていない。すべてあなたのものです」と言いました。私は「少なくなったのではなく、1袋多いのです」と言いました。社長は「多いにしてもあなたのものです」と言いました。私は1袋ずつ調べると、一つの袋が違っており、開けると種の色が自分の種の色と違いました。社長はこれを見ると「この袋をそこに置いてください。探し主がいなかったらあなたのものにしましょう」と言いました。数日後、社長の親戚が油を加工しに来た時、1袋少なくなったことに気付き、それがなくなった1袋だと分かりました。この出来事が村中に広がり、私たち法輪功を修煉する人は他人の利益を横取りしないと分かってもらえたのです。
2000年11月、私と妻は、法輪功が政府に迫害されている真相を伝えようと北京に行きました。天安門広場についた朝、2人の若い人が私に声をかけました。彼らは左官屋(家の壁を塗る仕事)であり、仕事中に土を掘った時につぼを発見し、中には金でできた佛・金塊・中華民国時代の紙幣と一通の遺書が入っていたそうです。それを私に見せ、「社長がこれを手に入れるために、私を追って殺そうとしている。故郷の江西省に戻るお金が必要だ」と言いました。それらは本物らしく話も嘘ではないと思いました。このとき、師父の法理「生きて求める所無く、死して留まるを惜しまず、妄念を蕩尽すれば、佛を修するは難からず」(『洪吟・無存』)が頭に現れました。
私は法輪功が迫害されている真相を伝えに来たのに、こんなお金を持ってどうやって真相を伝えられるのか、命を落とすかもしれないと思いました。そしてわたしは持っているわずかの200元を彼らにあげました。それを受け取るとどうしても私に掘り出したものの一部をあげると言いました。断りましたが、数万元の価値があり、数百元で買えるものではないからと言いました。「私は法輪功を修煉しています。天安門広場に行って真相を伝えなくてはならず、師父の無罪を実証し、政府の人々に『法輪大法は素晴らしい』と知ってほしいのです」と言いました。
彼らが去った後、私は騙されたのではない、逆に騙されても原因があると思いました。修煉する前、金持ちになろうと多額の交通費をかけて、あちらこちらで彼らが掘り出したような宝を探しましたが、結局疲れ果てて手ぶらで帰りました。もし、今でもその宝が欲しい心が残っていて、彼らが私にあげようとするものを受け取ったら、天安門広場に行かないかもしれず、修煉を放棄して、幾万年の大法に出会う縁を失ったかもしれません。何と怖いことでしょうか。これは、その心に対する試練でした。
(続く)
(明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
2009年11月21日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/11/12/212371.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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