■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/11/21/mh221147.html 



生命が大法の中に融け込む(四)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)なぜ同修から、私心が強いと言われたのでしょうか。師父の説かれた法に照らして反省すると、何か問題が発生した時に私の頭の中には、まず自分のことを思い、自分の利益をよく考慮して私はどうすればよいかを考え、さらにその考えに対して理由を付けていました。一方、人のために考えることはめったにありませんでした。これこそ私心ではないでしょうか。これは不潔な私心、自我への執着ではありませんか? 旧宇宙に符合している具体的な反映ではありませんか? 師父は「今後、何かをする時には、まずほかの人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他の人を先に、自分をあとにするという正覚(しょうがく)にまで修め遂げなければならないのです。 それゆえに皆さんは、今後、何かを行ない、何かを口にする時にも、ほかの人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません! 大法(ダーファ)が永遠に変らないようにするために考えなければならないのです! 」(『精進要旨・佛性に漏れなし』)と説かれました。我々は自らこの宇宙の大法に同化しなければ、真の大法弟子とは言えません。

 それから私は意識的に私心や自我を排除し、人のことを先に考えるようにしました。すると、心がとても落ち着いて気持ちが楽になります。逆に自我に執着すると、心がドキドキします。なぜなら、それは宇宙の真・善・忍の特性に背き、法に制約されているからです。

  二、求める心を抱いて修煉することは真修ではない

 修煉は、生命の中のミクロから表面まで次元が向上しなければならないと感じましたが、なかなかうまく進みません。「いつも同じ次元の中で徘徊(はいかい)しています。 大いに苦労して一つの次元を高めたのち、結局、またもや、その次元の中で徘徊しているのです」(『精進要旨・明らかに示す』) ある日、座禅をした時に、もうろうとした中である光景を見ました。両側に、一つは人間の境地、もう一つは神の境地で、私は人間の境地にいて神に近づいています。私は人間の境地の中で宇宙の大法を修煉しており、人間のものを使いながら、たまに神のところから必要なものを取り入れていました。このことはとても私を反省させました。私は長く修めていますが、なくすべきものを探さなければならないと思いました。

 学法の時に、いつも毎日一講の『転法輪』を読み、各地の説法を少し読んでいます。しかし、何かトラブルに遭って、触れられたくない心に触れられたとき、慌てて学法し、猛勉強して法の中から回答を探そうとしました。宇宙の大法だから、その過程で啓示される法理を探すことができ、問題の根本を悟ることもできます。内に向かって探し、自分を向上させることもできました。しかし、なんとなく自分は法に要求された状態ではなく、修めていないような気がしました。ある日、師父に啓示され、やっと「これは求める心を抱いた上での学法だ」と悟りました。

 「昔、宗教の修煉では、佛家は空(くう)を強調し、何も考えずに、空門(くうもん)に入ります。道家は無を強調し、すべてが無なので、何も要らず何も求めません。 修煉者の間では、『修煉する心があればとて、功を得る心無し』とよく言っていますが、無為の状態で修煉し、心性の修煉に専念すれば、次元もどんどん突破していって、得るべきものが得られるはずです 」(『転法輪』)と師父は言われました。自分は何を求めているのかと考えてみると、実は大法の中に自分の人心が満足できるものを探していたのです。自分では気付かず、ずっと抱えている欲望や執着心を満足させるものを探していたのです。このような不潔な心と良くない考えを抱えて、どうして法の中に溶け込めるでしょうか? 大法弟子と言えるでしょうか? 師父の慈悲なる済度を裏切ることにはならないでしょうか? 師に遵って法を正し、衆生を済度していると言えるでしょうか。

 これらの不足を探して、私は自分の学法の状態を正して、落ち着いて真剣に学び、無為の状態で修煉するようになりました。もちろん他に放下していない人心や執着もあります。例えば、自分を厳しく律して人に対して寛容に対処することが不足しており、いつも自分の名誉を損なわないように気を使い、最近さらに時間に対しても執着しています。これらのことは同じくなくさなければならないものですが、長くなるので、ここでは省略します。

  結び

 師父の最近の説法で、「法をしっかり勉強し、真相を伝えることをきちんと行い、衆生を救い済度することは何よりも重要なことです。正念が十分であれば、大法弟子として行うべきことをしっかり行うことができます」(『米国中部法会へ』)「大法弟子が真相を伝えるとき、人々を変化させ、その人を救いたければ、人間の負の要素に触れてはいけません。必ず善であってはじめて、問題を解決し、その人を救うことができるのです」、「善の最大の表現は慈悲であり、慈悲は巨大なエネルギーの現れで、すべての正しくないものを解体することができます」(『2009年ワシントンDC国際法会での説法』)と、啓示されています。主佛の弟子として師父の要求に従い、旧勢力のすべてを否定し、すべての

 邪悪な要素を解体しなければなりません。そして、師父に按排されたこの偉大で殊勝な正法修煉の道を正しく歩み、自分の歴史的な使命と先史の誓約を果たして師について帰ります。

 正しくない部分はご慈悲に指摘してください。

 (完)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

  2009年11月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/10/211605.html

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