正念を発する要領の再確認
文/中国の大法弟子
(明慧日本)私は長い間邪悪に迫害され、同修である家族や身の回りの常人にも影響を及ぼし、直接的または間接的に、家族の修煉をあまり良くない状態にさせました。先日、学法グループで、ある同修が交流の中で発正念の要領を取り上げ、私と母親に「全世界の発正念の時間には何を考えていますか?」と聞きました。最初、私は「数年間正念を発していながら、まだこのことさえも知らなかったのか」と思いました。同修は私たちにどのように座禅して立掌するかを見せながら話しました。私は同修の話を中断し、「私もこのようにやっている」と言って自分はどのように正念を発するかを紹介し、同修の話した内容とほぼ同じだと思いました。
しかし、同修は私に次のように教えてくれました。両手を結印し、自分の考えをきれいにする時、心の中で師父の教えを黙読します。「意念の中で自分の思想の中の良くない念、業力と良くない観念、或いは外来の邪魔を根絶します。これらの良くないものは死ねと念じれば、根絶されるのです」(『導航・2001年カナダ法輪大法交流会における説法』)師父の経文を黙読するときに、1つの文字までも間違ってはいけません。そうしなければ、師父と法を尊敬しておらず、神聖な威力も現れません。しかし、私の話したことは同修と同じように見えましたが、すべて自分の言葉でした。
片手を胸の前に立て、頭の中に明慧で規定された「自分を天に届く体の巨大な神にイメージし」「大法を破壊する全ての邪悪を根絶し、全ての黒い手と卑しい鬼を解体し、共産党という邪悪な幽霊のすべての要素を取り除き、ほかの空間にあるこれらの最後の妨害を消滅させ、含まれないものはなく、漏れるものはありません」を念じ、「師父の法を正す口訣、つまり『法正乾坤、邪悪全滅』を心の中で黙読して強大な念力を集中させ、「滅」という字を念じます。「滅」という字は宇宙の天体と同じくらい強大で、含まれない空間はなく、漏れるところもありません。
同修と交流した後、私たちは明慧ネットで2005年3月30日に発表された『正念を発する時の要領と全世界同時に正念を発する時間について(更新2)』を見つけ、師父の経文『正念』『正念で黒い手を根絶する』『正念の作用』『2004年米国西部法会での説法』『2003年米国中部法会での説法』をダウンロードし、同修である家族と共に勉強し、皆で自分の発正念のやり方を正しました。
現在、私は余裕があれば、きっちり1時間ごとに正念を発し、以前の正しくない発正念とまったく違うようになりました。15分間の間に頭のてっぺんから背中、お腹まで熱いと感じ、正念を発して数年来、始めて心身共に落ち着き、頭が特にはっきりし、他のことを一切考えず、師父の法を正す口訣「法正乾坤、邪悪全滅」しか念じませんでした。今まで、私たちは正念を発する前にたくさん内容を考え、多くの人の名前を思い、考える内容がなければ発正念の口訣をずっと黙読し、頭が休んでいませんでした。師父は次のようにおっしゃいました。「正念を発する時にいつも口訣を念じているのではありません。一回念じれば良いのです。それで作用が働くようになります。特殊な情況の場合、静かになることができず、もう一度正念を調整するのはしても良いのです。しかし、それも一時的なことです。本当に静かになることができる時、その一念で十分天地を驚かし、できないことは一つもありません。すぐにあなたが覆っている範囲内の全てを定め、抑制してしまうかのようになります。あなたは一つの山のように、すぐにそれらを抑制することができます。考えがいつも落ち着いていなければ、それはいけません。落ち着いていなければこれをやり遂げることができません」(『各地での説法三・大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説』)
私は長い間、正念を発した効果をなかなか感じられなかったのは当然です。自分は正念を正しく発さなかっただけでなく、三つのことの一つである発正念に対して潜在的に抵抗感があり、正念を発する時間が来ると受動的でした。実際に自分は正念を発する要領が間違っていました。考えてみると、師父の教えは法ですから、発した正念の威力がずっと大きいのです。私たちは座禅して片手を立てて口訣を黙読していますが、実際に法を正すことは師父が行っておられるのです。
長い間、家族も私と同じように正念を発し、要領が正しくなく、学法も精進していませんでした。正念を発するときに、義務のように行い、自分の空間をきれいにできず、さらに威力を発揮して宇宙の中の邪悪を取り除いているとは言えませんでした。自分で面倒だと思えばどのように衆生を救うのでしょうか? 本当に恥ずかしいです。
師父は同修を通して私たちを啓示され、長い間間違っていたことを正されました。今は時間がくると、私は積極的に座禅をし、すぐに落ち着き、正しい要領に基づいて正念を発し、終了時間になっても止めたくありません。
この文章を書いた目的は、発正念に対する自分の新たな認識を述べるだけではありません。正念を発することを重視せず、自分の感覚を重視している同修に、私や家族のように間違いから毎日の時間や力を無駄にしないよう注意をしたいからです。皆さんも明慧ネットの『正念を発する時の要領と全世界同時に正念を発する時間について(更新2)』をダウンロードして見てください。正念を発することを真面目に、正確に行えば、師父の法を正すことを助けて衆生を救うことができます。
2009年11月23日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/6/211972.html)
|