師父に遵い法を正す大法の徒になる(二)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)
三、正念を発して、大法弟子の神通力を出す
私たちの正念が強い時、神通力も強く現れると思います。
2004年3月の末、法輪功の真相を伝えていた時に私は連行されました。拘禁中、私は邪悪のいかなる命令・要求にも従いませんでした。警官の指図のもとで、他の囚人は私の服を脱がしました。シャツ一枚しか着ていない私は、開けた窓のそばに立たされました。それでも屈服しない私を見て、受刑者らは私を縛り、警官が自らゴムパイプで私の背中を叩きました。私は大きな声で「法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は正法です!」と叫んで、痛みを警官の体に移そうと考えました。本当に、私は少しも痛みを感じておらず、私を殴った警官の両腕が震動でしびれそうになって、すぐ暴行を止めました。
私は断食抗議をしました。留置場で「第一号大殺」と名づけられた警官が、「まだ飯を食べないなら、明日おまえの目の前で、粉ミルクを小便でとかして飲ませるぞ! それでも食べなければ、ウンコも混ぜて食べさせるからな!」と私を脅かしました。留置場の所長も怒り、明日は署長も一緒に私を処罰すると言いました。「私は師父の弟子です。誰も私を迫害する資格はありません。私に害を加える輩に報いが降りますように」と、私は心の中で一念を堅持しました。
翌日、所長の父親が突然危篤になり入院しました。「第一号大殺」も突然病気にかかり、ベッドから起き上がれなくなりました。再会したとき、彼はすっかり元気がなくなっていました。やがて、所長は免職され、「第一号大殺」は留置場から異動させられました。
2005年7月15日、地元の市幹部らが企業見学を行い、当時私が副総経理を担当していた会社も、見学される企業の一つとして選ばれました。これは邪悪を滅ぼす良い機会だと思いました。市「610弁公室」のトップ・政法委書記が働いた悪事のために、我々の市は法輪功への迫害が全国で最も残酷な地方の一つとなっています。この書記が近くまで来た時、私は黒く混濁した「気」を感じました。私は、「これが最後の機会です。もし彼が法輪功への迫害を止めなければ、その報いを受けます」と強い正念を発しました。この書記が我が社を出発したあと、彼が乗っていた車のタイヤが爆裂しました。彼は車窓から外に飛び出して死亡しましたが、運転手は無事でした。
私が今までやってきたことは、まだまだ取るに足りないことです。それほど私の責任と使命は重く、偉大だからです。もし私がしっかりとできなければ、どんな結果が待っているのか想像さえできません。十年来、ずっと敬愛なる師父に遵い、転びながらも今日まで歩んできました。もし、敬愛なる師父のご加護がなければ、心に法を置いていなければ、きっと今日まで辿り着くことはできなかったと思います。
師父、私は元来た場所に帰りたい。師父について帰りたいのです。
最後、敬愛なる師父の『洪吟二・「清醒」』を吟じて、同修と励まし合いたいと思います。
清醒
大法の徒 涙を拭いたまえ
サタンの魔 全て崩潰
真相を講じ 正念を発し
謊言を暴き 爛鬼を清める
(完)
(明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
2009年11月24日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/11/14/211862.html)
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