大紀元会議での説法
 

(李洪志、二〇〇九年十月十七日)

 

(拍手)

 皆さんは苦労しており、本当に苦労しています。大紀元新聞が創刊されて以来、多くの困難に満ちた道を歩んできて、出来なかったところから出来るようになるまでのこの過程で、本当に魔難が絶えませんでした。個人の修煉における心性の試練と外的な妨害から一歩一歩歩んできたのは容易なことではありません。大紀元が今日のこの成果を収めたのは在席の皆さん、そして大紀元に関わっている今回は来られなかった学習者が共に努力した結果です。大紀元は法を実証する中で確かに大きな作用を果たしてきました。このことは皆さんも目にしました。人間の考えは実は比較的簡単で、多くの人はマスコミの言うことを信じており、多くの人は普段マスコミから情報を入手しているので、この情報手段は皆さんが世の人を救い済度し、法を実証することに大変有利であり、実際、真相を伝える中で本当に非常に良い効果を収めました。この点に関して、私も世の人の代わりに皆さんにお礼を申し上げます。(拍手)

 大紀元新聞は当初から現在まで続いて、すでに大きな影響力を持つようになりました。これは新聞を運営する過程で、修煉状態の満足のいかないところが多くありましたが、何と言っても主流は良いものであり、成果は無視できないことを物語っており、これは非常に素晴らしいことです。今後の見通しからも、ますます良くなるはずであり、しかも常人は大紀元新聞をますます重視するようになりました。多くの中国語マスコミは現在の不景気のあおりを受け、経営が困難になり、破綻したものもあります。もし、皆さんがもっとしっかりと行なえば、より速く発展するはずです。いかなることも偶然ではないので、皆さんがしっかり行なうことができれば、衆生を救い済度する中で、皆さんにもっと広い道が譲られ、市場はもっと大きくなるかもしれません。このようになれば、皆さんがこの新聞を素晴らしいものにするために、さらに良い条件を与えられます。しかし、皆さんはこの時機を逃がしてはならないと自覚すべきであり、何とかして大紀元を普通の社会のマスコミの会社のように安定させるべきです。当初、皆さんは大紀元を真相を伝えるための手段と見なしており、多く考えていませんでした。中にはこの新聞をチラシのように作っている人もいました。今はもちろん変わり、皆さんも徐々に、一時的という考えを持ってはならず、この新聞を良いものにし、しかも正規の道に乗せなければならないと認識するようになりました。

 管理にしても、経営にしても、私が思うには、やはり常人の会社の経験を多く取り入れたほうがよいのです。しかし、実行にあたっては、多くの場合難しくなります。どこが難しいのでしょうか? つまり互いに協力し合うことにおいてです。(笑) 大法弟子はみなすごい人物であり、歴史上、かつて皆さんはすべて王になったことがあり、(笑)中国には「一つの山に、二匹の虎は住めない」という言葉があるように、(皆笑って)一人の王だけなら物事を決めやすいのですが、これほど多くの王がいると、アイディアが多くなり、いろいろな考えが出てきて、しかも、どれも強い独断性を持っています。これはすなわち、大法弟子が互いに協力し合うことにおいてぶつかる最大の困難であり、この阻害は皆さん自身から由来しています。ここにいるすべての人に能力があり、場合によっては非常に大きな能力があり、仕事をするとき一人で数人の常人の仕事をこなすことができますが、相対的に言えば、これは協力し合うことにおいて厄介なことになります。長い間この問題が存在しており、皆さんがしっかり協力し合い、意見をまとめて皆の力を合わせて行ない、さらに皆さんの能力を加えれば、それは本当に阻むことのできない勢いになります。ですから、皆さんの修煉がますます良くなるとき、皆さんは徐々にこのようになり、力がますます大きくなるのではないかと考えています。(笑) もし、皆さんが最も困難な時期にこのようにすることができれば、より速く局面を変えることができ、皆さんが行なうべき事をきちんと行なうことができるのです。

 しかし、時間は人を待ちません、形勢も人を待ちません。いずれにせよ、現在直面している形勢において、皆さんがしっかり協力し合う必要があり、しっかり協力し合ってはじめて、皆さんが果たそうとする誓約を円満に果たすことができ、この新聞をもっと力のあるものにすることができます。常人社会の大手マスコミの、その管理にしても、経営にしても、皆さんは本当に参考にすべきです。彼らは一つの新聞で数千人を養っており、どのように行なっているのでしょうか? しかも、常人社会のマスコミの会社で働く従業員は、編集者にしても、記者にしても、印刷工場の職員にしても、その給料は社会の標準レベルに達しており、低くないのです。私が思うには、皆さんは大変苦労して、できなかったところから、できるようになるまでの過程を経験してきましたが、この行なう過程の中で経営を良くし、社会でよりしっかりと根を下ろし、印刷費用と互いに協力し合う問題に悩まされないようにすべきです。正式な管理の際、大法弟子はそれぞれ、一つの分担を与えられます。分担は修煉の次元の高さを意味するのではありません。編集者、記者になったり、普通の仕事を担当することになったりしたからといって、修煉の次元が高くなったとか、低くなったとかのことではありません。このような関係はありません。ご存知のように、今まで修煉界では、最も苦労して、最も下にいる人は修煉が最も良くできています。仕事の分担は仕事の内容の違いであり、修煉とは関係なく、同じではありません。修煉は人間の心を修めており、どの環境、どの階層においても修煉できますが、ある社会階層は高く修めることができ、ある社会階層は高く修めることができないということではなく、そういう言い方はありません。修めるとは、心性の境地と、大法弟子の衆生を救い済度することに対する責任と態度を指しています。

 大紀元のことに関しても同じです。あなたはここでどの仕事を担当していても、あなたの修煉の次元の高さを意味しているのではありません。あなたが精進しているかどうかのみを見ています。修煉なので、神佛は人心しか見ておらず、自身の修煉が精進しているかどうかしか見ていません。常人社会でどの仕事をしているのか、どういう環境にいるのかに関わらず、それは皆さんに修煉の環境を提供しているだけであり、修煉できるよう、異なる形を提供してくれたのです。このことについて皆さんははっきりと分かる必要があり、自らに正しく対処し、不平不満の人心を取り除いてください。分担があるので、管理する人と管理される人が出てきます。管理されたり、指示されたりすると、機嫌が斜めになる場合があります。(笑) 実は、皆心からこの新聞を良くしようと思っていれば、言葉が厳しくなったり、誰かに指示されたり、誰かに従ったりすることは大きな問題にならないはずです。

 大法弟子が一緒にいると、皆さんは多くの場合、誰かの指示に従うことを最も嫌っています。しかし、常人社会の職場で、会社の社長から何を言われても従い、常人にどのように指示されても服従しています。私たち自身のことになると、なぜできなくなるのでしょうか?(笑) 私がこのように指摘すると、皆さんは分かるようになるかもしれませんが、本当に具体的な情況になると、特にトラブルがやってきたとき、また心中は穏やかではなくなります。もちろん、ここに常人の会社とは一つの違いがあります。常人の会社は最初から報酬があり、それで生計を立てているため、言われたことに従い、給料をもらっているため、もちろん従わないといけません。大法弟子が法を実証することの歴史的責任、修煉の貴さをまずさておいて、もし新しい学習者、あまり精進していない学習者がこの面で不満を持っていれば、それも理解できることです。何と言っても、人間が修めており、社会での現実と生活の要素は彼らにとっても無視できないことです。それなら、皆さんは新聞の経営を良くし、経済利益を上げ、皆正式の社員になり、普通に報酬を受ければいいのです。

 実は皆さんはすでにとても良い基礎を築いたのです。これほど影響力のある新聞で、大法弟子は能力も高く、このことに全力を尽くして、市場が大きくなれば問題が解決されます。この面に力を入れ、本当に健全な会社にしてください。誰もがこのように考え、このように行なう必要があります。少数の人がこのように考えているだけではいけません。皆協力し合えるようになるべきです。本当に健全な会社になり、本当にこのようになれば、人から管理されたくないとか、生活の問題などもなくなります。良い新聞になれば、衆生を救い、法を実証する上でもさらに力強くなります。

 現在、一部の地区では、すでに収支がとんとんになっており、また少し利益が出ている地区もありますが、いずれも喜ばしいことです。しかし、ここに留まってはいけません。多くの責任者はとんとんになればいい、これが基準だと思っています。それではいけません。皆さん考えてみてください。もしこれほど多くの人が常人の会社で生計を立てる必要がなく、自分たちの新聞で解決でき、全力をこの新聞のために尽くし、この新聞が常人社会の普通の仕事になり、普通に給料をもらえば、皆さんは大法弟子が行なうべきことを行なっただけでなく、生活の問題もなくなったのではありませんか? なんと良いことでしょう。

 実は皆さんがこのことを行なう当初から、私はこのように考えていました。本当にここまでできれば、私は一番嬉しいのです。大法弟子が金持ちになることを恐れていません。皆さんの仕事が繁盛し、お金があればあるほど、私は喜びますが、そこまでできないことだけを心配しています。皆さんに皆強い経済力があれば、大法弟子が法を実証する力が大きくなるのではありませんか? それは良いことではありませんか? 山で道を修める人のように、一銭も欲しがらないようにと皆さんに要求したことはありません。常人社会で修煉する場合、ありえないことだからです。私は皆さんにこのように要求したことはなく、いつも大法修煉は最大限に常人社会の形式に符合して修煉すべきだと言っています。しかし、このように言ったからといって、皆さんは極端に走らないでください。これから金儲けばかり考えてくださいと言っているのではなく、(皆笑って)大法弟子として行なうべきことを行なわなくなれば、それではいけません。大法弟子として行うべきことを行う必要があります。肝心なのは、皆さんが今、この条件を揃えたので、時間を無駄にせず新聞を良いものにすべきです。

 実はいつも、何かの商売をして大紀元をサポートしたり、何かの投資をしたりして大紀元の経済負担を減らそうと考えている人がいます。考えは間違っていません。私が言いたいのは、それならなぜ、方法を考えて大紀元そのものを良くしようとしないのでしょうか? 本当にそこまでできたら、何でも解決されるのではありませんか? 実はできるはずです。大紀元の見通しと現在の社会の経済情勢から見れば、本当に皆さんのために条件が作られています。もし、管理において協調が取れ、市場のほうにもっと力を入れ、経済利益をあげることができれば、一部の人に給料を支払えるようになります。そして、経営がますます良くなるとき、正常に運営する企業になり、新聞を発行することができ、関わっている人を養うことができるようになります。これは問題なくできることです。数年前に私はこれが目標だと言っていましたが、今は可能なことだと言います。

 現在、まだ遅れている地区もありますが、それは皆さんがどのくらい重視しているかの問題です。一部の地区の学習者は少し良い成績を出しましたが、すぐ満足してしまいました。大紀元は収支がとんとんだけでは足らず、もっと大きな目標を立てておらず、大紀元を健全な企業にし、衆生を救い済度し、真相を伝える中でさらに大きな作用を果たそうと考えていないのです。私は次のように考えています。新唐人テレビも同じですが、私はこの前彼らに、広告営業に関わる人が専属になるように、給料を払うべきであり、給料が少し低くても大丈夫であり、この仕事に関わる学習者の生活を安定させ、彼らが安心して仕事に取り組めるようにすべきだと言いました。新唐人テレビは今このように行っており、効果がとても良いと聞いています。皆さんが本当に大紀元をより良いもの、より力のあるものにしたければ、条件のある地区はこのように行ってみてください。

 皆さんにはしなければならないことが多くあり、常人の仕事をきちんとこなし、家庭のこともあり、大法弟子が法を勉強し煉功する時間も作らなければならず、さらに真相を伝えること、大法のプロジェクトへの取り組み、大紀元のことなどがあります。もし、真相を伝えることと大法弟子のマスコミの運営を一つにすることができれば、時間の配分を減らすことができるのではありませんか? しかも生活の問題と常人社会の仕事の問題も解決することができ、なぜ喜んでこのようにしないのでしょうか? 私は現在の勢いからこのようにしなければならないと思います。(笑) 皆さんに前例がないのではなく、新唐人はすでにこのように行っています。また、飛天芸術学院の講師は長い間、専属で講義しているので、生活の問題もあります。今、彼らも給料をもらっていますが、少し低いだけです。だんだんと条件が良くなり、神韻公演が徐々に知られるようになり、収入が増えれば、彼らの月給も少しずつ増えていきます。

 ここまで言及しましたので、違う話題のことについて少し話します。各地のチケット販売に関わる学習者も大変苦労しているので、このことに関して、各地のチケット販売に関わる学習者への配慮が足りないのではないかと思います。幸いなことに、皆さんも人を救うことのために行っていると分かっており、一枚のチケットを売れば、一人が救われるので、皆この関係を正しく扱うことができます。ずっとこのまま皆さんにさせるわけではなく、神韻芸術団の世界での影響が本当に大きくなれば、神韻が来たとき、広告を出すだけで、皆見に来ます。そのとき、大法弟子は全部身を退いて、チケット販売に関わる必要がなくなります。今はこの方面で努力しています。私が何かを行いたければ、必ずしっかりできるようにします。大紀元新聞もこのように行うべきであり、必ずその目標に向かって努力すべきです。

 中共邪党のスパイが海外で妨害活動を行っていると皆さんは知っています。皆さんが広告営業をするとき、妨害の電話をしてきます。これらのならず者は悪事を働くたびに応報に遭い、罪が大きくなれば悪報に見舞われます。世の人は法のために来たのです。皆さんが本当に真面目に行えば、それらの妨害はただの無駄になります。肝心なのは、力を入れて行うべきであり、いい加減にしてはいけません。特に、皆さんが問題に遭うとき、真相を伝え、相手に中共のならずものの本質を知ってもらうべきです。中共のならずものが妨害活動を行っているかぎり、皆さんはこのことをもっと着実に行うべきです。実は中共のスパイにそれほどの能力はありません。それらの背後にあるのは旧勢力が按排した憑き物の卑しい鬼であり、その目的は世の人が救われ、済度され得るかどうかを試すためです。人間の心が本当に正しくなれば、その一言、一念だけで、その人は現在ではなく、将来に属する人になり、ならずもののスパイも成す術はありません。

 人と接触していれば、人を救っているのです。広告営業も含まれています。人間がどの立場を取るのか、救われるかどうかはいずれも、大法弟子が常人と接触したときに決められます。事情を重く見ないでください。困難を大きく見れば見るほど、問題が難しくなり、相は心から生じるのですから、問題はますます厄介になります。相は心から生じるという言葉にこの意味もあります。なぜなら、あなたはそのことを重く見ており、自分を見下したからです。それをたいしたことではないと思い、人を救うという大きなことなので、行うべきことをして、心を落ち着かせ、気に障ること、気に入らないことにぶつかったり、聞いたりしても気にせずに、正々堂々と行うべきことを行えば良いのです。邪なものに妨害されず、それに動かされなければ、良くない要素は自分のところから生じることはなく、邪悪は微々たるものになり、皆さんは大きくなり、正念が強くなるのです。本当にいつもこの情況です。

 半神文化はその内涵があり、相は心から生じるという言葉にもこの意味があります。人間は社会環境の中で自らの範囲を持っているため、自分の気分が自分のことに影響を与えています。大法弟子はなおさらそうです。衆生を救い済度する使命を持っているため、範囲がもっと広くなったのです。全世界の大法弟子は世の中を全部包容しており、それぞれ一つの範囲を受け持っています。あなたがぶつかったこと、接触したことはいずれもあなたの範囲の中の要素です。あなたの正念が強ければ、あなたは自分の範囲で強くて高くなり、中にある良くないものを抑制することができます。すべての大法弟子がこのようにすることができれば、全世界が変わります。なぜなら、皆さんはそれぞれこの世界で大きな範囲を受け持ち、その部分の衆生を代表しているからです。私はいつも皆さんに内に向けて探し、問題があれば自分を見るようにと教えています。皆さんが正念を発するとき、内に向けて自らの空間の良くないものを取り除いていますが、それは自分の考えを純正なものにすると同時に、自分が分担し、自分が受け持ったその環境をも同時にきれいにしています。すべての大法弟子が正念を発することに正しく対処でき、日ごろから強い正念を持っていれば、この世のすべての邪霊をすぐに全部解体してしまいます。すべての大法弟子が分かるようになり、真に強い正念を持つことができれば、一日で問題を解決することができます。すべての人が自分の受け持った範囲にある良くない要素を全部解体してしまえば、全世界が変わるのではありませんか? 実は世の人も自分の範囲を持っていますが、ただそれは非常に小さな場にすぎず、ほかの人は含まれておらず、自分の気分によって物事の一部の結果が影響されます。常人は、「相は心から生じる」という言葉に含まれているこの意味を知らないのですが、実は自分の要素が自分の環境を変えてしまうということです。自らを修め、内に向けて探す、などの話を私はとても明白に、はっきりと説きましたが、(笑)このことを重視する人は多くいません。大法弟子が行っていることに関しても同じ情況です。

 大紀元の広告営業、経営管理、スポンサー探しなどについても、各方面において正念をもってこのことに対処できるかどうかの問題があります。もちろん、全体の形勢にまだ旧勢力がこのことを左右しているという情況があります。旧勢力も隙を狙っているのではありませんか? 皆さんがすべて正しく行うことができれば、それらが隙に付け入ることもできなくなります。時に邪悪をきれいに取り除くことができないと感じ、なぜまた出てきたのかと思ってしまいます。確かに、皆さんの修煉が一日で圓満成就し、その場で佛になることができれば、それも修煉と言えなくなります。人間は現実の生活の中で形成された観念とそれらの良くないものをすぐに取り除きにくく、習慣になったものに関しては、その習慣を改めなければなりません。考え方がすでにそのようになっていれば、考え方からそれを正して、はじめて再び問題にならないのです。すでにきれいに取り除いたと言うのですが、確かに正念を発するとき、空間場まで光っていますが、終わるとすぐに常人の考えになってしまい、考えたこと、行ったことはまた元の基点に戻り、良くないものがまた生じます。場合によっては、正念を発するときの念も落ち着いておらず、正念を発して良くないものを取り除きながら、良くないものがまた同時に生じています。修めることはすなわち、自らを修めることで、実はこういうことです。

 もう一つのことですが、責任者はいつも大紀元本部が大変困っていると私に言っています。各地は本部の情況を重視していません。本部は多くの編集の仕事を担当しており、人手がかかり、多くの力を投入しました。各地は新聞に現地のニュースを加えているだけで、割とやりやすいのです。自分のところが赤字にならなければいいのであって、本部のことをまったく考えていません。一つの全体をなしており、大紀元はグループ企業になっているので、本部のことも考慮しなければなりません。これらの問題は協調する必要があり、本部の全体管理に従うべきであり、このようにした方がよいと思います。特に、各方面において本部に頼っていれば、彼らにより大きな圧力を加えることになります。どのように管理すればよいのか、大紀元が本当に常人社会に立脚し、良性循環になれるように、皆さんがこの会議を機会によく検討した方がよいと思います。大紀元を安定した会社にし、経営も順調になり、関わっている大法弟子が大紀元で生活の問題を解決でき、ここに全力を投じることができ、大紀元が法を実証し、衆生を救い済度するときにさらに力強いものになれれば、これこそ私が望んでいることです。関わっている人の給料の問題を解決することは、皆さんがこれからやるべきことで、とんとんになったことに満足してはいけません。もちろん、まだ赤字を出している地区は、本当に力を入れて努力すべきだと思い、いつまでも遅れてはいけません。大法弟子は皆、大法弟子として行なうべきことを行ない、本当に法を正すことにおいて作用を働き、師が法を正すことを手伝うと言っています。皆さんが身を入れて行なってはじめてできることで、身を入れて行なわないと、足手まといになり、それができなければ、妨害にもなり、大法弟子の誓約を実現することもできません。本当に重視すべきです。

 ついでに英語版大紀元と他言語の大紀元についてお話します。今は困難が多いと分かっており、主に人手が足りない問題で、これは最大の問題になっています。私が思うに、もし中国語版大紀元を良くすることができれば、同時に英語版大紀元のために市場を切り開き、影響力を増します。なぜなら、中国語版大紀元が社会で大きな影響力を持ち、誰もが知っていますが、読んでも分からないので、どうしたらいいのでしょうか? 英語版、フランス語版、ドイツ語版、ほかの言語の大紀元もあります。しっかり行えば、環境を作り出すことができます。現在は確かに困難が多いのですが、英語版大紀元が置かれている状況は当初の中国語版大紀元の状況と同じで、人手が足りないことが最も突出した問題です。もし、皆さんが緩まずに行うべきことをしっかり行うことができれば、各方面のことは徐々に解決されます。新しい学習者は何と言っても、相次ぎ法を得ており、彼らも徐々に成熟するようになります。成熟すれば、参加することができます。皆さんは今までこのように歩んできたのです。ある方面で道を正しく歩んでいれば、閉じている扉は開かれ、道が広くなります。どのプロジェクトもこのように歩んできたのです。局面を打開できなかったのは協調が取れず、十分重視していないからです。人心が皆さん自身の道を阻んだので、いつも順調に行うことができず、厄介なことが絶えません。ほかでもなく、人心が多すぎて、問題が現れたとき、守りたいのは自分であり、法ではありません。皆さんが努力し続けているので、いつかしっかり行えるようにしなければならないと思います。

 ほかの言語の大紀元も非常に大事です。なぜなら、大法弟子は世界各地の隅々にいる世の人々が救われる唯一の希望だからです。大法弟子の師父である私、李洪志がこのことまで行ってしまえば、それではいけません。これは皆さんが行わなければならないことです。私が再び行うのであれば、それは法がこの世を正すときになります。法がこの世を正すことがやってくるまで、皆さんは多くの人を救うべきであり、世の人を多く残すべきです。皆さんが真相を伝え、法を実証し、衆生を救い済度する過程で人を大劫難から救うことができ、この部分の人に将来、法がこの世を正すとき、宇宙と創世以来のすべてのことの真相を見る資格があり、その後、私は法がこの世を正すときのことを行うのです。なぜなら、人間のことはそれほど簡単ではなく、この空間を残そうとするなら、多くのことをしなければなりません。衆生を救うことは皆さんが行うべきであり、この期間は皆さんに威徳を樹立し、正しい念と正しい行いの中で圓満成就に向かっていく道を歩ませているのです。私がさらに行ってしまえば、皆さんを妨害してしまいます。どんなに小さいことでも私に解決して欲しい学習者がおり、これはすなわち圓満成就に向かおうとしていないのです。皆さんは法を正す時期の大法弟子なので、このことはすでに決まっており、このことは二つの段階に分けて行うのです。つまり、法がこの世を正す段階と法を正す時期の修煉の段階のことです。法を正す時期の修煉はすでに後期に入り、最も邪悪な生命がなくなり、最も恐ろしい環境と時期はすでに過ぎ去りました。この時期の大法弟子に彼らの任務と責任があり、つまり衆生を救い済度し、それによって自らを圓満成就させることです。しかも、このことはすでにここまで行われ、もう変化はありません。全世界のより多くの人を救いたければ、大法弟子、皆さんが行わなければなりません。

 もちろん、この中にもう一つの要素があります。中国大陸の世人がとても悪くなり、中共邪党によって人の考えが悪くなり、道徳が低下し、あの社会は非常に乱れてしまいましたが、各民族、各時期の王の多くは確実にそこに転生したのです。どの民族の王も、ひいては天上の多くの王もそこに転生しました。あの環境はそこまで乱されましたが、宇宙の旧勢力はまさに、この乱れた状況下で、誰が抜け出すことができるのかを見ているのです。険しい状況で、圧力の中で法を得てはじめて、旧勢力に認められるのです。一人が救われれば、その背後にいる無量の衆生が救われ、この世で彼が王であったときのほかの民族の衆生と世の人が救われ、中国人が救われれば、この世界の各民族の多くの衆生が救われるのだと旧勢力に分かっているのです。大法弟子が国際社会で行ったことは中国大陸で大きな影響を引き起こします。中国国内の大法弟子は非常に良く行っており、あらゆるところに真相があります。国際社会にいる大法弟子と中国大陸の大法弟子は同じ事を行っているので、中国大陸に対して力を入れて真相を伝えるべきです。海外のほかの言語の大紀元が真相を伝えるときに国際社会で引き起こした影響も中国人、中国社会に影響しており、中国社会で真相を伝えることに一役買っています。今はどういう時期なのか、迫害がいつ終わるのかを気にせず、ただ行うだけです。本当に終わってしまえば、皆後悔してしまいます。まだ終わっていないうち、法がこの世を正すことがやってくる前に、皆さんはただ行うだけなのです。人を救うとき、行うべきことを行い、できるだけやるべき事をしっかり行えば行うほど良いのであって、成就するのは大法弟子である皆さんなのです。

 

 
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/11/10/212440.html)