大学院の大法弟子による正法修煉の道での体験(三)
文/中国黒龍江省の大法弟子
(明慧日本)
三、面と向かって真相を伝える
知らない他人と向かい合って真相を伝えることは私の弱点で、以来突破することが出来ませんでした。師父は『シンガポールでの法会における講法』の中で「自分の弱点、欠点を見つけて、全部根こそぎにしなければいけない」と述べられました。私は必ずこれを突破しようと決心しました。師父の関連のある説法と同修達の知らない人にどうやって真相を伝えるかの交流文章を読むことを通じて、自分の弱点の源を見つけることが出来ました。それは恐怖心という執着心があるからです。師父は『至難の関から抜け出す』の中で「恐れの心は、人々に間違ったことをさせることができ、人々に機縁を失わせることもできます。恐れの心は、人間が神に向かっていくときの至難の関です」と言われました。
それから、私はその恐怖心を取り除くように正念を発し続けていました。しばらくすると、やはり話すことが出来ず、私は自分に向かって問いただしました。「あなたは師父の弟子になり続けたいと思うの?正法時期の大法弟子になりたいと思うのか?なりたければ、何故師父の言われたとおりにしっかりと行うことができないのか?なぜ知らない人に真相を伝えることができないのか?他人が出来ることがなぜ自分ができないのか?あなたは真・善・忍を修煉しているのではないか?なぜ怖がる必要があるのか?師父は『精進要旨・白日のにさらけ出す』の中で『頭が落ちても身体はまだ座禅している』と述べられたのではないか?何故慈悲心を持って衆生を救い済度することができないのか?」
私は絶えず自分に問いかけてから、師父のご加護の下で、私は修煉に勇敢な獅子が突っ走るような気持ちが生じてきました。私は必ず知らない人と向かい合って真相を伝えることを妨げる物を突破し、他のためでもなく、私は大法弟子だからこそやるべき、多くの衆生が救い済度を待ち望んでいるからこそやるべきだと考えていました。ちょうどその日に、私は電子辞書にカバーの膜を付けるため街に出かけていきました。これこそは私は知らない人と顔を合わせて、真相伝えの障害を取り除くよいチャンスではありませんか?心の中で必ずこの機会を上手く使おうと決心しました。電子辞書にカバーの膜を付ける間、私は先ず正念を発し、師父のご加護を求めてから、膜を付けてくれるお店の人に、四川大地震(地震が発生した間もない時)を話題として真相伝えの本題に切り替えをして話しを始めました。店の人は聞きながら頷いてくれました。私の想像以上に順調で、すぐ偽名を使って三退されました。私はとても喜んでいました。これは師父のご加護の下で出来たことと思い、また私への励ましでもあります。
それから、私は知らない人と向かい合って真相を伝えることが出来ました。
四、明慧へ投稿する
私は以前には、『明慧週刊』をただ読むだけで、明慧に求めたりして、明慧へ投稿しようと考えたことがありませんでした。2008年3月のある日突然に、私は自分が長年学校を通ってきたのは訳のないことではなく、「ペン」を持って法を実証すべきだと悟りました。「真実で、正確で、清らかで、人情を帯びない」の『成熟』という文章を書き出して師父の正法に力を注ぐべきだと考えました。悟ると早速、私は修煉体験談の文章の執筆を始めました。普段のときは、常人の文章を書くのはとても容易いことでしたが、修煉関連の文章を書くと非常に難しく感じました。各種の邪魔が絶えずに飛んできて、脳の中にいつもこのような考えが浮かんできました。「もういい、どうせ毎日明慧へ投稿する人が絶えない、あなた一人が居なくても足りないわけでもないし、文章を書く時間を法の勉強に使ったらもっといいではないか?」私はこの考えが真の私から出たものではないと認識したため、すぐ師父のご加護を求め、邪魔を排除し、真の私を堅持し主意識を強化し続けた結果、6、7時間が経った後、やっと第一篇の修練体験の下書きが出来上がって明慧に交付しました。二日後、私は自分の文章が採用され、心の底から嬉しい気持ちが湧いてきました。この気持ちは顕示心から出たものではなく、生命が自分の果たすべき役目を完了した後の達成感のようなもので、誓いを実践し果たした後の喜びです。
あるとき、私のもう一篇の文章が『明慧週刊』に採用され、顕示心が出てきて、同修である母親に報告しようと思うと、褒めるどころか、師父が母親の口を通じて私の不足点を注意してくださいました。それで、私は明慧へ投稿する目的は同修間の切磋と交流のため、発表したい、名利を求めたいなど、文才を誇示しようというようなものではないことが分かりました。明慧へ投稿するのも修煉の内だということを悟りました。
最近では、邪悪は明慧ネットへの封鎖を強めており、私の考えでは以下のような要素があるのではないかと思っています。「多くの農村同修は明慧へ資料を求めるばかり、『明慧週刊』を読むことしか知らず、明慧で共に交流することは大法弟子としてみんなの責任と認識していません。明慧ネットは大法弟子にとって師父の正法に力を注ぐ中の共同の項目であるため、一人ひとりが参加する必要はあると私は悟りました。
私たちは明慧ネット上で師父の新経文を拝見でき、同修達の交流文章を読むことができ、明慧ネットは全世界大法弟子にとって大法会であることを示しており、極めて重要で神聖なことで、海外の大法弟子であろうが中国国内の大法弟子であろうが皆が明慧ネットのため正念を発すべきと思い、また皆が参加すべきで、更に皆が自分の修煉体験を文章にして明慧に投稿し支持すべきだと悟りました。
(続く)
(明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
2009年11月26日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/20/212793.html)
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