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自我を放下し、協調できるようになる


文/中国の大法弟子

(明慧日本)最近、私は生まれたときから持っていた非常に頑固で巨大な執着を見つけました。それはつまり「自我に執着する」心でした。以前、同修から指摘されたこともあり、明慧ネットで自我に対する執着を捨てることに関する同修たちの文章も見ましたが、今まで何が「自我に執着する」ことなのか、「自我に執着する」という具体的な表れは何かも分からないのに、まして修めて捨て去ることはなおさらです。今は分かりました。「自我に執着する」最も顕著な表れは、自己中心的なことで、他者と協調しないことです。

 私は自己中心的で、常に自分の基準で他人を量り、他人に要求してきました。自分の方法が良いと思い、他人に自分の考えどおりに行ってもらいたいのに、自分では他人に対し、よく他人を手伝っていると思いました。他人が私の考えを認めず、あるいは私の思い通りに行わなければ、直ちに反感を持ち、焦りました。時には自分の気持ちを抑えられず、かんしゃくを起こしたこともあります。言葉使いが穏やかなときもありますが、目的は相手に自分の考えた方法でやってもらいたいからです。相手が確固として従わないときは、相手と離れて、交流できないと思ってしまいます。相手と交流ができないのではなく、自分の「私」を放下できないからでした。自我に執着する中で、また他の良くない心も生じてきます。独りよがりの心・他人を見下げる心・顕示心・自我を実証する心・嫉妬心・恨む心などなどがありました。

 自我に執着する心を捨てなければ、次第に修煉ができなくなります。問題に遭ったら内に向って探さず、他人の不足だけを見て、外に向かって探し、まるで他人を修めているようです。学法の時も、大法に照らして自分を修めるのではなく、他人を照らしてみます。執着心をもって、大法の中に常に他人を従わせる言葉を探しており、大法の中にある自分の執着に対する言葉には気が付きません。長い間同じ状態に留まり、向上がありませんでした。

 いま、自我を放下するとは、謙虚に、他人と協調をとることだと認識しました。善意をもって他人を理解し、大目に見ることができます。法を実証することを行う時も、目的は法を実証することであり、自分を実証し、自分の能力を顕示することではありません。常に主人公になりたく、脇役にはなりたくない考えなら協調をとることはできません。

 「長い間この問題が存在しており、皆さんがしっかり協力し合い、意見をまとめて皆力を合わせて行い、その上に皆さんの能力もあるので、それは本当に遮られない勢いになります」(『大紀元会議での説法』)

 個人の体験で、同修達の慈悲なるご指摘をお願いします。

  2009年11月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/24/213214.html

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