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大学院の大法弟子による正法修煉の道での体験(四)


文/中国黒龍江省の大法弟子

(明慧日本)

  五、仕事探しからの悟り

 私は今年7月に大学を卒業しました。しかし、私はいまだに満足できる良い仕事(私の専門分野の会社は共産党員の資格が必要)を見つけることができず、とても焦っています。その上、外部からの圧力もかかってきました。私は繰り返し師父の関連ある説法と、同修の関連文章を読んで、同時に邪魔を取り除くように発正念をしましたが、少しの効果もありませんでした。冷静になって真剣に内に向けて探すと、すぐに自分の根本的な執着を見つけました。それは、すなわち常人の考えるところの素晴らしい将来に憧れて、先祖に花を添えたい気持ちがあり、師父と大法を信じる心が不純で不正なものだと分かりました。

 私は不純な心で師父の説法を勉強していました。発正念は師父が大法弟子に与えられた神聖な神通力なのに、私は師父の教えに背いていました。『導航・2001年カナダ法輪大法交流会における説法』の中で師父は、「しかし、もし修煉者がやるべきではないことに使えば利きません。しかも、その念が発せられるとすぐに報いがあり、或いは次元が落ちてしまいます。しっかり覚えておきなさい!」と弟子に注意されました。神通力を使って良い仕事を探そうとしたのは、本当にやるべきではありませんでした! 恥ずかしいことです。私は内に向けて探すことを通じて、自分の根本的な執着を見つけることができました。すると、心の中は澄み切ってきて、仕事にもそんなに執着しなくなり、呼応するように外部からの圧力も少なくなりました。

 今になって私は次のように悟りました。大法弟子の一生はすなわち修煉の一生であって、この一生は師父が苦心して按排してくださった天国への道であるため、私達が師父の按排された修煉の道を歩み、三つのことをしっかりと行なって、自分の先史の使命を担うことができれば、すべての素晴らしいものがその中にあります。世の中のいわゆる満足できる仕事は、師父が按排されたものであれば与えられ、師父の按排でなければ、与えられないのです。仕事に執着すべきではありませんでした。なぜなら、師父が弟子に与えてくださるものは、どんなものであれ、すべて全宇宙で一番良いものだからです。

 当然ながら、修煉をしっかり行わないために招いた邪悪の妨害は、正念を持って取り除くべきだと思います。しかし、三つのことをしっかりと行うことに影響がなく、衆生済度に干渉しない限り、私はすべてそれらを気に止めないことにしました。今、時間は本当に限られており、現段階で師父は私たちに次のように要求されています。「法をしっかり勉強し、真相を伝えることをきちんと行い、衆生を救い済度することは何よりも重要なことです」(『米国中部法会へ』)

  私は世間のすべては大法弟子の精進の足並みを阻むことはできないと悟りました。『精進要旨二・道』の中で「修煉とは実に難しいものです。天が崩れ、地が陥没したり、邪悪が狂ったように迫害したり、生死に関わる時であっても、依然、あなたの修煉のこの道を確固として歩み続けられるところに難しさがあります。人類社会のいかなる出来事も修煉の道の歩みを阻めはしないのです」と言われた法をしっかりと覚えるべきです。

 師父はまた「皆さんは良いことに出遭っても、良くないことに出遭っても、すべて良いことです」という法理を述べられました。これを悟ることができれば、正しい法理をもってすべてのことに対処して行くことができます。私は今回の仕事探しの機会を利用して、根本的な執着を取り除こうと決心しました。大法に同化し、さらに三つのことをしっかり行い、多くの衆生を救うことができるならば、辛酸を嘗め尽くされた師父の慈悲なる済度に背くことはないと思います。

 修煉の道には「休憩」や「なまけ」は存在しないはずで、それらの行動は理性から出てきたものではなく、すべて自分自身と衆生に対する無責任な行動であり、師父が望まれるものではありません。修煉の道には、師父と法を固く信じる心と、修煉において勇猛且つ精進する心をもつべきだと悟りました。長年の修煉で私が深く感じたのは、修煉の道で一歩前へ進む度に、上の次元に一つ上がり、その次元の衆生を救うことができるということでした。

 最後に恭しく師父の教えの「最後になればなるほど、精進すべき」を引用させていただき、同修達とお互いに励まし合いたいと思います。

 以上は私の修煉上の少しの体験と心得ですが、次元に限りがありますので、法理上にない認識があれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 師父、ありがとうございます! 合掌。同修のみなさん、ありがとうございます! 合掌。

 (完)

 (明慧ネット第六回中国国内大法弟子修煉体験交流会)

  2009年11月27日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/20/212793.html

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