■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/11/28/mh300867.html 



常人の忍から修煉者の忍へ昇華

文/中国の大法弟子

(明慧日本)11月23日の夜、生涯忘れられないことが起きました。起因は、出張先での臨時費用として妻が半月前に200元をくれたことです。しかし、出張が延期になったため、この半月以来、この200元は取り敢えず私が管理することになりました。普段の家庭内の収支は妻が管理しています。最近の数日間は妻の了解を得て、2回に分けて家の生活必需品を買いました。しかし、具体的に何を買ったのか私はどうしても思い出せませんでした。というのは、私は普段お金を持たない、あるいは少ししか持ち歩かなくて、家に何を買ったのかについてはあまり気にしていなかったため、後になってから思い出せませんでした。23日の夜、突然妻にお金の使い道を聞かれ、私は最初、心穏やかに説明をしました。この200元は、私は本当に家のためにいろいろな物を買いました。記憶に残っているのはただ50元の食用油一缶と妻に頼まれた果物だけです。私は確かに1銭も無駄遣いしなったのです。しかし、妻がどうしてもこの200元は具体的にどこに使ったのかを私に言わせようとしました。彼女は大声で「あなたは絶対に変なところにお金を使ってしまって、言う勇気がないんでしょう」と叫んでいました。私もいらいらしてきて、「もういい、私はもう何も言わない。私が悪い遊びにふけてお金を無駄使いしたことにすればいいだろ」と言いました。彼女はずっと足を踏みならして烈火のごとく怒って、昔のつまらないことまで言い出し、わけもなく勝手に物事を想像したりして、大声で叫んでいました。私はついに我慢できなくなって、「あなたはどうして11年来、何度も何度も勝手な想像で私に濡れ衣を着せるのか」と大声で言いました。小さい頃から人を罵らず、人を殴らかった私は、初めて彼女を罵り、殴ってしまいました。

 その時の私は、完全に修煉者として持つべき理知を失って、心の中には辛さだけが残っていました。その時、私は「しまった。おそらく私は圓満成就できず人間にしかなれない。師父はきっと私を放棄してしまうだろう」と思いました。私はやけになって、お酒を飲みたくなりました。私はこの紛らわしく複雑で、しかも道徳水準が急速に下に落ちていく、変異した社会を見たくないからです。私のような真実のことを話し、嘘偽りのないことをし、正直で、善意をもって人と接する人はこの社会に溶け込めないのです。お酒で自分を麻痺させ、永遠に目覚めたくないと思いました。私はずっと泣いていました。夜9時ごろ、夕飯も食べず寝ました。

 翌朝、どんなことが起きても、子供の登校に影響してはいけないと思って、私は通常どおりに起きて、子供の粉ミルクにお湯を入れ、朝ごはんを食べた後、急いで子供を学校へ送りました。午前中、事務室にいても、自転車に乗っても、私はずっと昨夜のことを考えていました。

 修煉してから11年も経ちました。私はずっと師父の教えである、「真実のことを話し、嘘偽りのないことをし、正直な人間になって、善意を持って人と接し、忍耐する」を覚えています。しかし、忍耐すべきことにぶつかると心性を守ることができなくなります。どうして「忍」はこんな難しいのでしょうか? 昨夜のようなことは初めてのことではないのです。私のその時の心情は次のようでした。「もう本当に我慢できない。11年来、私は妻の前ではずっと怒りをこらえてじっと我慢してきた。ずっと慎重に慎重に物事を行い、少しも逆らわずにずっと妻の言いなりになって、いわゆる常人の言うかかあ天下だった」私は突然、これは常人の忍だと悟りました。何年間も修煉しているのに、心性はまだ常人の心性だったのです。

 修煉者の「忍」を守ることができるようになったら、本当に修煉の最高の境地だと、私は深くため息をつきました。私はどうしてできないのでしょうか? ここまで考えて、11年来、自分はどうのように修煉してきたのだろうと恥ずかしくなってきました。

 「真・善」だけを守ることができても、遥かに足りないのです。修煉者として「忍」が守れなければ、修煉者としての「真・善」が守れるとは言えないのです。師父は『転法輪』の中で次のように説法されています。「道家は真・善・忍を修煉する際に、主に真を修煉します。ですから、道家は真を修め、心性を養うことを重んじ、真実のことを話し、嘘偽りのないことをし、正直な人間になって返本帰真し、最後には修煉が成就して真人(しんじん)になることを目指します。もちろん、それには忍にもあり、善にもありますが、真を重点的に修煉します。佛家は主に真・善・忍の善を修煉します。善を修煉すれば、大いなる慈悲心が生まれます。慈悲心が生まれると、すべての衆生(しゅじょう)を気の毒に思うので、衆生を済度しようとする願望を持つようになります。真もあり、忍もありますが、善を重点的に修煉するのです。われわれの法輪(ファルン)大法(ダーファ)という法門は、宇宙の最高の基準──真・善・忍に基づいて同時に修煉するので、われわれの修煉する功はとても大きいのです」11年間も修煉してきましたが、「真・善・忍」を同時に修煉するようにという師父の教え通りに修煉していませんでした。

 師父は『精進要旨・忍とは何か』の中でも明確に次のように説法されています。「忍とは心性を高める鍵です。 怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体(せけんてい)に執着する忍です。 まったく怒り恨むことが生じることなく、不平に思わないことこそが修煉者の忍なのです」師父のこの説法がずっと頭に浮かんできて、私は不思議に思いました。昨夜、私はあんなことをしたのに、まさか師父はまだ私のことを放棄していなかったのでしょうか? すると、私は涙ぐんで「師父、すみません! 弟子はこの11年間きちんとしていませんでした。真に大法の要求に従ってしっかり自分を修めていなくて、師父にご心配をかけてしまいました!」と心の中で何度も何度も繰り返しました。

 「この宇宙の中にはもう一つの理、すなわち大きな苦痛に耐えれば、自らの業力もおのずと徳に転化される、ということがあります。あなたが代償を支払ったので、苦痛に耐えた分だけ、転化が行なわれ、徳になります。煉功者として求めようとしているのはまさにこの徳ではありませんか? このように、業力を転化させることもできましたので、あなたは二つのものを得ました。もし、相手がそのような環境を作ってくれなければ、あなたはどうやって心性を高めることができるでしょうか? みんなが和気藹々で、そこに坐っているだけで、功が伸びるなどということがありえますか? 相手がそのようなトラブルを仕掛けたからこそ、心性を高める機会が生まれ、そのおかげで、心性を高めることができて、本当に心性が高まってきたのではありませんか? 三つ得ました。そしてあなたは煉功者なので、心性が高まれば功も伸びるのではありませんか? これで一挙四得となりました。あなたが相手に感謝するのは当たり前ではありませんか? あなたは本当に心から相手に感謝しなければなりません。本当にそうなのです」(『転法輪』)師父のこの説法も頭に浮かんできました。私はどうしてできないのでしょうか? 私はやっと今度の生涯忘れがたい心性の試練の中から、根本的な原因が見つかりました。それは私の忍は常人の忍だったということです。それから、妻に対して常人の情がとても重かったのです。

 ここまで考えて、私は心の中で自分に次のように言い聞かせました。「私は必ず今日を新たな起点として、師父の教えに従って『真・善・忍』を同時に修め、最初からやり直します。残された最後の限られた時間で倍以上に努力し、三つのことをきちんと行い、自分がもたらした損失を埋め合わせます」

 2009年11月28日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/27/213326.html

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